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教育現場の負荷を減らす政策

 教師たちにとって,仕事にかかっている「負荷」とは何でしょうか?

 と問われれば,たとえば「各種調査への対応」があげられます。

 仕事量としてはそれほど多くはないのですが,「自分のため」「目の前の子どものため」の仕事ではないと感じるため,「負荷感」が大きい。

 決して表には出ない「負荷感」の大きなものは,

 「配慮を要する子ども」「配慮を要する保護者」への対応です。

 原因が学校側にあるのならまだいいのですが,そうでない場合は,「徒労感」が大きく,

 何もないときでも,「今度はどんな場面で・・・・」などという不安がまとわりつき,

 つねに「負荷」がかかった状態で過ごさなければなりません。

 「無力感」に襲われる教師の中には,悲惨な結末を迎えることになるケースすらあり得るでしょう。

 
 また,今となっては信じがたいところですが,

 昔,教卓の椅子に腰かけたまま授業をしていた教師がいました。

 こういう教師にとっては,「立ったまま話す」という身体的な「負荷」が課題だったのでしょう。

 

 教育現場には,実に様々な「負荷」があるものです。

 そして,その多くは,「取り除くことができない」ものです。

 ですので,「負荷」の絶対量を減らすことは(一般の教師にとっては)困難なのですが,

 「負荷感」を減らすことは不可能ではありません。

 そのキーワードは,

 前向きな雰囲気のもとでの

 意見交換情報交換です。

 調査結果に,どのような意味があるのか。

 調査結果が,どのような理念の実現に結びつくのか。

 子どもは,何の実現で意欲を高めるのか。

 保護者は,何の実現を求めているのか。

 こういう「理念」「理想」「目標」に関する相互の理解と納得ができて,

 たとえば筋肉への「負荷」が筋力を作り出し,その効果に気づくように,

 意味のある「負荷」という実感がもてるようになります。

 今,目の前にある「負荷」がなければよいのに,と嘆いたり,愚痴をこぼしたりしていても,実際にその「負荷」がなくならない以上は,何も始まらないばかりか,逆に「負荷」感は増していきます。

 「負荷」に対するイメージの転換ができるような教師の行動原理が,子どもの成長を支えていく原動力にもなり得ると私は考えています。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より