ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「言語活動の充実」という「観点」が「観点別評価」の問題を浮き彫りにする | トップページ | 情報は最大の武器である »

これが「現場を混乱させる人」らしい言葉?

 「おかしな人」の正体が明らかになろうとしているとき,こんな記事が登場しました。

 もし私が「おかしな人」の仲間になっている疑いがあったら,どなたかに指摘していただくと助かります。

**********************
 
中には子どもでも、精神的な高さ(大人のような)を感じさせる演奏をする者もいますが、概して、子どもは子どもだという当たり前のことを言っています。

 しかし、いわゆる東京にある有名な音大と、地方の音大と違うのは、地方の音大では大学生なのに中学生が演奏しているような演奏を聴くことがあります。
 もちろん、全部がそうとは言いませんが、概してそのような傾向が強く、先生の嘆きもそこにあるようです。

 楽器は根気よく正しい方法で練習すれば、弾けるようになるものですが、なかなかどうにもならないのが、精神的に大人かどうかというところだと思います。

 そういう意味では、音楽はまさに人生であり、いろいろな教養が影響すると感じているわけです。

**********************
 
 上の内容からは,

 地方の音大の大学生は,正しい方法で練習させても,精神的に大人でないので,どうにもならない。

 東京にある有名な音大の大学生とは,教養が異なる。

 全部はそうとは限らないが,そういう傾向は強い。

 そう読めます。

 東京と地方というだけの違いで,「どうにもならない」ほどの「教養の違い」が生まれるのでしょうか?

 dolceさんがいる愛知県というのは,「地方」の仲間に入るのでしょうか?

 どなたか,この記事に解説を加えていただくことはできるでしょうか。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 「言語活動の充実」という「観点」が「観点別評価」の問題を浮き彫りにする | トップページ | 情報は最大の武器である »

教育」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

コメント

私の経験上,中学校では音楽の教師で「決まる」面が非常に大きいので,余計に「言っていることの妥当性」についての質問が多くなってしまうようです。

しかし,最近の記事では,自分が音楽の教師であったことを隠そうとして,「専門性」の話の中に逃げ込もうとしているわけですね。

自分の姿に気づけたと考えれば,正常な方に近いのではないでしょうか。

http://poesie.web.infoseek.co.jp/Depress41.htm
↑このリンクにおかしい人の基準が書いてあります。
この手の基準はDSM-IV,ICD-10という公式な文書にまとめられています。
誰でも多少の偏りはありますが、この基準に多数当てはまる場合、おかしいと判断
出来るようになっています。おかしいと判断できたらさらに詳しく心理テスト、fMRIなどで調べます。

d****さんが明らかに当てはまると考えられる項目が多数見つかると思います。
治療法は確定していません、根っこにAttachementの問題があるので通常の方法では
難しいでしょう。

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: これが「現場を混乱させる人」らしい言葉?:

« 「言語活動の充実」という「観点」が「観点別評価」の問題を浮き彫りにする | トップページ | 情報は最大の武器である »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より