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いい学校と普通の学校の線引き

 教科書通りに授業をすると,生徒から

 「そんなの授業じゃありません」

 と言われる学校は,

 「いい学校」

 「学力向上への意欲が高い生徒が集まる学校」


 一方,教科書通りでない授業をすると,生徒から

 「そんな授業じゃ困ります」

 と言われる学校が,

 「普通の学校」か,「課題のある学校」

 「学力向上という考え方への枠が狭い教師が集まる学校」

 「指導力が『ふつう』の教師が集まる学校」

 「教科書通りに授業をしなくても,教科書に書かれたような内容は習得させることができる授業をすることが,教師に求められていることがわからない人がいる学校」

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コメント

コメントありがとうございました。

いい学校からふつうの学校を比べると,自分の学校より劣っている学校,ということになりますね。

そうやって「ふつうの学校」はまだ改善の余地がある,向上できる学校というふうにとらえることができます。

「ふつうの学校に通いたかった」という感想が出る場合も同じかもしれません。

ただ,教師が「ふつうの生徒」とよぶときは,たいてい「何も観察されていない」ことが多い,という趣旨の記事をかいて書いたことがありました。

「ふつう」の意味,そして,その用法はさまざまですね。

多くの人の場合,数校しか比較の対象がないのが気の毒です。

でもそれが自分が救われる唯一の道になっているかもしれません。

「ふつう」って、何なんでしょうね。
人によって「ふつう」の意味内容は異なっていて。
「ふつう」かどうかより、大事なことがあるはずだと私も思うのですが。
なかなか言っている意味が伝わらないことってありますね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より