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テレビが生き残れる最後の場所は学校

 テレビの「敗戦」が,巨艦による決戦をもくろんだ旧日本海軍になぞらえて語られるのは,製造業の各社にとっては不本意なことかもしれませんが,教科書や資料集にも載せられるパネルの新鋭ラインの方向転換,量販店での価格破壊を見てしまうと,やむを得ないことかもしれません。

 日経の記事の中では,

 アップル、グーグル、フェイスブックが仕掛けてきた「新しい戦い」に応戦できる企業は、まだこの国に生まれていない

 と締めくくられています。

 日本を代表する製造業の企業の方針が「アナクロニズム」と切って捨てられようとしている今,社会科を教える私たち教師にとっては,背筋がぞっとする思いです。

 何度か述べたように,

 「電子黒板」はすでに時代遅れになろうとしています。

 サイズが小さいし,高さが低い,コストがかかるというデメリットをかかえている以上,

 この機能をすべての教室で,すべての教師が使える,という状況にはなりません。

 これが,天井からつるせる,あるいは台の上の高いところに固定できる大画面テレビは,今や全教室に配置できるくらい値下がりしています。

 そして,以前は映像端子は黄色,音声は赤と白・・・なんてつないでいたケーブルも,今やHDMIケーブル1本ですむ。

 さらに大画面テレビに資料を写すのに,もはやウインドウズパソコンは必要ありません。

 アンドロイドの方が,部分的な拡大等が容易にできます。

 タブレット型PCも,1万円を切るのはそう遠い将来の話ではないでしょう。

 

 
 家庭でのテレビ視聴も,大画面テレビはあってもそこでは見ずに,タブレット機を各個人がもって,机の横に立てかけてみる,キッチンの背において見ながら料理する,風呂に入りながら見る,そういう時代になろうとしています。

 近い将来,大画面テレビを実際に見たりするのは学校の教室や駅のホーム,店舗の中などに限られて来るかもしれません。

 世の中のこういった変化に,教育の世界では昔ながらの方法で教え続ける価値ももちろんあるかもしれませんが,先を読もうとする癖を子どもに身につけさせるためには,教師が何かしらを「語る」ことも大切でしょう。

 教師が「語る」べき情報の内容と質が,問われる。

 教師は,何を「語る」べきか。

 何を,「問う」べきか。

 「昔のままのことが大事だよ」

 そんなことはだれもが分かっていることですが,

 「では,これからもっと大事になることは何ですか」

 という問いを自ら遠ざけたら,

 「昔のままの大事なこと」も同時に見失うことになりかねないことを知るべきでしょう。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より