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子どもにとって,スクールカウンセラーは必要か?

 ある自治体では,「スクールカウンセラーはうちにはいらない」と強硬に主張されました。

 「予算がつくので・・・」と言っても,

 「カウンセラーが常駐できる場所がない」

 「必要ない」

 「カウンセラーだけがそのうちカウンセリングを必要とするようになる」

 という答えで,私もなるほど,と思いながら,「全校配置」をうたいたい教育委員会の側に立って,いろいろ調整にまわったのを覚えています。

 スクールカウンセラーにかけている費用は莫大なものです。

 雇用対策になっている,という説明もできますが,大切なのはその実態と評価です。

 カウンセラーは,自分で直接的に子どもの問題の解決にあたる立場ではありません。

 あくまでも,「子ども自身をを変える」ことが仕事です。

 「重い気分を軽くする」

 「自分の責任を自覚させる」

 「新たな一歩を踏み出そうという気にさせる」

 ・・・・そういうことで一定の「成功」と言えるのでしょうが,

 万が一,

 「スクールカウンセラーのところに行っても,何も変わらなかった」

 ばかりか,

 「解決しないことに余計,いら立ちを覚えるようになった」

 などということが起こっていないか。

 以前は,友達に話せていていっしょに解決できたことが,

 今ではカウンセラーにしか話せなくなって,そして,解決できなくなった・・・

 なんてことはないか。

 カウンセラー依存症・・・・なんて症状はないのか?

 スクールカウンセラーの存在が,ますます「人間関係の希薄化」に拍車をかけているのでは?

 ・・・・・・・

 いろいろ疑問が生まれてしまいます。

 この記事は,以下の本をヒントに書きました。

***************************

 日垣隆著『常識はウソだらけ』WAC

 第8話 カウンセラーは本当に必要か

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コメント

制度の多くは,それを利用すべき人は利用せず,利用しなくてもいい人が利用する。

教師たちの話も,それを聞くべき子どもは耳を傾けず,聞かなくてもいい子どもが聞く。

一人一人にきちんと対応した指導が必要なのが教育なのですけれどね。

1クラスの人数が40人でもできる人はできて,1クラス10人しかいないのに,できない人はできない。

制度をいじっても,楽したい人が楽ができる結果にしかならないのは哀しいことです。

 カウンセリングを受けるべき対象が子供では無く、親と教師であるケースが多いと考えられます。
カウンセラーは親にカウンセリングを受ける必要があることを求めてもそれなりに成功しますが、対象が教師の場合全く歯が立たないといいますか、学校対カウンセラーという対立関係になりやすいので多分教師をカウンセリングの対象にしないのだと思います。

 教師を対象にカウンセリングできないため多発する猥褻事件などの防止が出来ません。病んでいるのは子供より親と教師、軽い場合、親には対処できても学校相手に組織ぐるみで隠蔽を平然と行える環境が整っている限り、カウンセリングは成功しません。
児童虐待の場合親が問題ですが、親権云々の問題がありそう簡単に保護できないといえます。この点について多少法改正したみたいですが、あくまでも子供の保護だけで親に対するカウンセリングは法的不備が残っています。

 学校でのいじめに教師が加担するようなケースにおいては子供が自殺するなどして問題が表に出るまで学校側は責任回避行動をとります。
職務に対する責任感より保身第一なんです。労働者として能力より遙かに高い賃金をもらっているわけですから、保身に回ります。

スクールカウンセラーは大学院が必須ですから教員免許より多少ハードルが高いですが、コンプレックスを抱えた教師が多い学校からすれば消えてもらいたい存在なのでしょう。

もう一つ言えば、精神科の医者、臨床心理士どちらもそのその人個人の能力の違いが出やすいと思います。

参考までに
症例A (角川文庫)
多島 斗志之 (著)
を一度読んでみたらかなり参考になるのでは無いかと思います。
小説ですが実にこの領域の現場でのことを忠実に再現しています。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より