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精神衛生上,よくないブログ

 子どもたちにとって,今の教育環境が最高だ,と考えている教師なら,そもそも私のブログなど見向きもしないですみます。

 子どもたちにとって,今の教育環境に課題がある,と考えている教師のうち,その課題の多くが教師自身にある,という自覚がある教師なら,私のブログは共感できる部分があり,何とかするためのヒントはないか,と考えていただけるでしょう。

 気の毒なのは,今の教育環境に課題はあるが,それは行政や家庭の責任であり,教師たちはみんなしっかりやっている,と自分に言い聞かせたい方々です。

 こういう方々にとっては,読めば読むほど腹が立つ内容ばかりでしょう。

 自分たちがいかに「勘違い」していたのかが,次々に明るみになってしまうわけですから。

 以前に,ある小学校の教師が,卒業生たちにしたアンケートの内容と結果を私がご紹介したことがありました。

 気の毒だったのは,この教師が「真実」だと勘違いした「アンケート結果」という「社交辞令」の「本音」=「真実」の部分を私が知る立場にあったことです。

 本人を知っていますから,アンケートをねつ造したとか,自分の都合のよいデータだけ出したとか,そういうことではないと思われます。子どもの言葉をもとに,自説を展開していました。ただ,それは卒業してもなお,子どもたちが思考を働かせて返した「先生が期待している言葉」だったのです。

 子どもは,教師の期待通りに動く。

 これは,指導力のある教師ほど,よくあてはまることでしょう。

 いえ,指導力のない教師にも,あてはまります。

 期待していない通りの結果になる。

 さて,学校現場にいた過去を消し去るのを最後の逃げ道にしようとしている人のことは置いておき,実際に教師として教育活動を行ってきて,本当に満足したまま教員生活を終えた人がいたとしたら,本人はとても幸せな人だったと思われます。

 ただ,教育に限った話ではないと思いますが,教える方が満足するものではなくて,教えられる方が満足したかどうかが大事なことです。

 子どもの本音を知ることは,教師にとってとてもつらいことですね。

 15年しか生きていない子どもに,教師だけでも30年近くしている人間が否定的な言葉をかけられたら,やはりショックでしょう。

 ある評論家はそれをきっかけに教師を辞めたと過去を振り返っていましたが,

 どんなにつらい言葉でも,自分のためではなく子どものために仕事をしている人間なら,真実を知ろうとしなければなりません。

 何が,なぜ,どうだめだったのか,そういうことの知識を持って教師になるのと,持たずに教師になってしばらくした後に真実を知るのと,どちらがよいでしょうか。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より