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自ら考え,自ら学ぶ力とは何か

 「若い教師の仕事術」というタイトルで記した記事を再掲いたします。

 この記事にたくさんをアクセスをいただいたので,改めて,別のタイトルでご紹介します。

 自ら考え,自ら学ぶとは,どういうことか,特に若い先生方には自問自答してほしいことです。

***************************

 マニュアル人間が増えていることを助長しているのが,中途半端な経験をもった人間の「時間術」とか「仕事術」などのいかがわしい本です。

 「いいやり方があるよ」

 「時間をかけない方法だよ」

 「効果的な方法だよ」

 などという言葉につられてまねをするような人間に,本当に効果的な仕事ができるはずがありません。

 教育という仕事に効率とか簡略化とかいう概念をもってこようとする人間が,子どもをどう見ているか,容易に想像がつきます。

 「カンタンにうまくいく教え方」

 などの甘い言葉につられる人間は,そうやって子どもを育てていくのがよいと考えているのでしょうか?

 若いときしかできない,独身のときしかできない「時間のかけ方」があり,実際に本を書いている人間はそういう無駄な時間を過ごしたからこそ,自分で実践できるようになったことがあることも知っているはずです。

 とにかく若いうちは,ありとあらゆる方法を自分で考えて,試行錯誤することです。

 子どもの反応なり動きなりを,しっかり見つめることです。

 毎日の活動の中で,教師として「やりたいこと」がどんどん出てこないのであれば,それは教師には向いていないということです。

 知識が足りないことに気づいたのなら,ひらすら調べることです。

 そういう手間を省くような本を出す神経が,「教育者らしくない」ことになぜ気づかないのでしょうか?

 「どうしたらうまく授業ができるかわからないと相談された先生に,いい方法を教えられなかったのは残念だ」なんて,そもそも「学ぶ」ことの意味がわかっていない人間のせりふです。

 すぐ答えを知りたいと思う子どもとか,いい方法を人から聞いてまねしたいと思う子どもが増えているのは,そういうタイプの教師と,そういうタイプの教師を応援する教師がいるのが最大の原因でしょう。

 小学校の教師にその傾向が顕著です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より