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研究授業をして,協議会を開いた後にすべきこと

 「匿名」様の見方は,「偽物」とは違っていることがよくわかりますね。

 関連する一例を。

 教育実習は,おそらく最後の方に実施する研究授業の協議を終えた後,

 「次に同じ授業をしたら今より何カ所か優れている」

 と言ってもらえるような指導案を作成して提出し,その出来をもって「評価」を出す,

 そういう指導をしている人はいるでしょうかね。

 母校実習などでは力がつかないというのなら,こういう課題をしっかり出せるところが教育実習を請け負わなければなりません。

 でも,受け入れ側にも負担は大きいのですね。

 もちろん,教員ではなく,生徒の負担です。

 教員は養成段階での「未成熟度」があまりに大きく,だから「期間を伸ばす」とか「回数を増やす」とか言われるわけですが,これによって大きな被害を受けるのは受け入れ校の子どもたちです。

 でも,教師の卵は育てていかなければならない。
  
 痛いジレンマです。

*********************

映画の「はやぶさ」ご存じでしょうか、フィンクションでは無く実話です。
この映画の中で、「失敗の積み重ね」を「成果」といっていること、失敗を成果にする
ということは、どこが失敗だった、何が原因でうまくいかなかった、この次はこうしたら出来るかもしれない、、、と事実を確実に分析して、隠さないで公表し次のチャレンジャーに知識を与えるのです。

残念ながらこういうやり方が出来るのは、日本では一部の研究者だけのようですが、大学教育では、論文=感想文ではなく必ず成果を残すという事が求められていたはずでした。

しかし、教育学部とかの論文?は失敗を知恵に変えるという成果を残すようなものは少ないと思います。実際感想文やプレゼンはさせるけど、失敗を分析して成果にするということはあまり行われていないといえるでしょう。

 それ故、失敗を隠す失敗があれば終わりだと決めつけている、だから最初から問題と向き合わない、問題を察知したら、あたかもなにも無かったかのごとく無反応という態度で押し切る、そういう先生いますよね。子供が自殺して初めて知ったかのごとく報道するようにしている学校というのはごく当たり前に存在しています。

 この現象は、子供にも転移して、出来ない問題、初めてやる問題、そういうのを完全にスルーしてしまう子供たち、学力の衰弱と言っているようですが、この衰弱した学力の子が大人になり、それが教師になり、(ハードル低いし、給料めちゃ高い、コネさえあれば採用確実)さらなる衰弱を、、、確実にデフレスパイラルのごとく侵攻しています。

このスパイラルを止める第一歩は組合の強制解散では無いかと思います。都合のいいように解釈をねじ曲げ、本来は聖職者のはずが労働者、これではいい教育は出来るわけがありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より