ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「頭のおかしい人」よりdolceさんへ ~私の指導力~ | トップページ | 教師が「指導力がない」とよばれるとき »

教育管理職の仕事で最も大切なのは?

 匿名様は管理職だったのでしょうか。とてもくわしいですね。以下,斜体の部分が匿名様からのコメントの内容です。

>管理職の仕事は、
部下を育てる事が一番重要です。そしてやる気を無くさせないこと、やる気は子育てと同じで、やる気をつぶす行為が一番駄目で、望んでいる方向と少し違っていてもへし折らずに軌道修正を自分で行えるように誘導するのが良いでしょう。

 教育管理職としての校長や副校長は,「教員を育てる」仕事をしているでしょうか。

 それは,難しいですね。

 企業で言えば,校長は社長であり,たとえば「経営理念」をしっかりもって,それを教員に浸透させてくれるようなリーダーシップがあるのなら「教員を育てている」と言えるでしょうが,現実はどうでしょう。

 副校長は,副社長というより,「総務部長」です。

 悪く言えば,「雑用係」。

 (「雑用」にしない仕事術については,以前にも述べました)

 教育管理職としての校長や副校長は,現場の経験からすれば,ほとんど一般の教員とは「違う仕事をしている人間」になってしまっていますね。

 高校の先生は,名前すら知らない方もいたでしょうが,毎日の週案の提出の義務付け

 こういう管理の仕方は,事の起こりは「団体」による「不適切な教育」の監督が必要になった,ということでした。

 だれが,どの時間に,どんな内容のことを教えているか,管理職が把握すべきだ,なんて,真に受けていたらたいへんなことになりますね。

 しかし,本当に真面目な副校長先生は,この週案に,赤字で,欄外にはみ出すほど書き込みをして,教員に返しているそうです。

 口で説明すれば,とお思いでしょうが,教員の方に説明を聞くゆとりがないので,書いて渡す。

 小学校ではよくあるパターンですね。

 副校長先生の中には,同じようなことを,学級の児童にしていたのですが,管理職になってそれができる対象がいなくなってしまったので,若い先生に対してやっている,そんな人もいます。

 ここまで手取り足取りやることが,「管理職」としての仕事でしょうか?

>その次は予算云々の管理ですが、事務方は全てどの学校にもいますから、要求された予算の調整、そして必要な予算をきちんと説明できることであって、決して不思議なやりくりをすることでは無いということです。

 高校に比べ,小中はあまりにも財政的には乏しいのが現状ですね。消しゴム1つでも,もらいにくいという学校もありました

>そして最後に、目標の適切な設定です。目標というのはそれぞれの人に対して違うのが当然で、全体目標=不登校解消なんてやったところで、それじゃ具体的に何をすれば良いのか判断に迷うはずです。管理職が命令するだけではなかなか人は動きません、個別に適切な付加を踏まえた上でそれぞれの人にかなり努力すれば達成可能な個別目標にかみ砕いて与えます。抽象的で漠然とした目標で、部下の前で凄んでみせるような人では(パワハラ)馬鹿にされるだけです。

 以前に記事にしたことがありますので詳細は省きますが,東京都の場合,各教員が「職務目標」を「学習指導」「生活指導」「研修」などの項目で設定することになっています。
 各教師が立てた目標には,達成の難易度も示すようになっていて,難易度の検証と,その教員がやるべきことの検証を管理職といっしょにするのです。年間3~4回は面接があるでしょうか。この場面のやりとりを聞くことができれば,管理職と教員の資質や能力がわかります

>あまり関係ないかもしれないけれど、研修で出張の時は何を見てきて何を学ぶのか、個別に予習復習に付き合う必要があると思います。夏休み以外では授業時間の調整も必要でしょうね。

 出張時の授業時間の調整は,教務部の教員(だいたいどこの学校でも時間割担当がいる)が行います。

 指導主事にはあるのですが,普通の教員には「出張復命書」がありません。ここには,研修の内容,成果と課題などを書くことになっています。

 これを義務付ければ,「何を学んできたのか」が分かりますし,その内容について,研修会のこの場面でこういうことを話してくれ,という指示も出せるのですけれど。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 経営ブログ 仕事術へ

« 「頭のおかしい人」よりdolceさんへ ~私の指導力~ | トップページ | 教師が「指導力がない」とよばれるとき »

リーダーシップ」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/92794/54349638

この記事へのトラックバック一覧です: 教育管理職の仕事で最も大切なのは?:

« 「頭のおかしい人」よりdolceさんへ ~私の指導力~ | トップページ | 教師が「指導力がない」とよばれるとき »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
  • 目くばりをするということは、実際にそこに目を遏(とど)めなければならぬ。目には呪力がある。防禦の念力をこめてみた壁は破られにくく、武器もまた損壊しにくい。人にはふしぎな力がある。古代の人はそれをよく知っていた。が、現代人はそれを忘れている。
    「楽毅」第1巻より
  • 知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
    「楽毅」第1巻より
  • 会う人がちがえば、ちがう自己があらわれるということであろうか。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 静寂に染まりきれば、ふたたび起つことはない。生きるということは、起つ、ということだ。自然の静謐に異をとなえることだ。さわがしさを放つことだ。自分のさわがしさを嫌悪するようになれば、人は死ぬ。
    「楽毅」第四巻より
  • 人というものは、自分のやっていることをたれもみていないと思い込んでいるが、じつはたれかがみており、やがて賛同してくれる人があらわれる。
    「春秋の名君」より
  • 寵を受けても驕らず、驕っても高い位を望まず、低い地位にいながら怨まず、怨んでもおのれを抑えることのできる人は少ない
    「沈黙の王」より
  • 小さな信義が、きちんとはたされてこそ、それがつもりつもって、大きな信義を成り立たせる。それゆえに、明君は、小さな信義をおろそかにせず、つねに信義をつむように、心がけるものである
    「歴史の活力」より
  • 奥の深いことと、表現がむずかしいこととは、むしろ逆の関係にある。むずかしい表現のほうが、ぞんがい簡単なことをいっている場合が多く、やさしい表現のほうが、奥の深いことをいえる。
    「歴史の活力」より
  • 黄河の流れは悠久とやむことはない。河床もあがりつづけるのである。いくら堤防の高さをましてもらちのないことであった。
    「侠骨記」より
  • 人はおのれのままで在りたい。それは願望とはいえぬほどそこはかとないものでありながら、じつは最大の欲望である。人の世は、自分が自分であることをゆるさない。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 外をもって仕えている者は信用するに足りぬ。つまり男でも女でも内なる容姿というものがあり、その容姿のすぐれている者こそ、依恃(いじ)にあたいする。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より