嫌味と批判の区別がつかない人
あなたの授業は授業になっていない。
こういう言葉を「嫌味」ととる人は,
「相手は自分を不快にさせるためにそんなことを言うのだ」
と考えているわけです。
これを「批判」ととる人は,
「どうすればあの人に『いい授業だったね』を言われるようになるのか,考えてみよう」
などと,「先に進める」。
「どこがどうして,どのように課題だったのだろうか,聞いてみよう」
などと,コミュニケーションをとるきっかけになる。
たしかに,もう現場に戻れない人に対して,
「あなたの指導は間違っていた」
と批判しても,その人には「次」がないから,どうしようもない,ととられることもあるでしょうが,
たとえば,一度,きちんと自分の実践を振り返ってみて,
「ああ,間違いだった」
と気づけば,
「こんな失敗は繰り返してはならない」
というメッセージを,これから教師になろうとする人に発信して,
「こんな間違いはしないように」
と注意を喚起することができるのです。
自分が言われて嫌な思いをした言葉,嫌な思いをするだろうなと思う言葉を,
ブログのタイトルにまでつけて繰り返す人がいますね。
気の毒な人です。
この人は,人格を攻撃対象にする。
自分自身も,人格が攻撃対象にされていると勘違いする。
違うのです。
書いている言葉が,おかしいと批判されている。
言っている言葉が,おかしいと批判されている。
その指導が,おかしいと批判されている。
人格を批判しているのではないのです。
だれでも間違うこと,失敗すること,失言をすることはあるのです。
でも,批判されるようなおかしい言葉を書く人は,頭がおかしい,と考えてしまう。
こういう人が,本当に困ったとき,助けてくれるはずの人が助けてくれないのがおかしい,という反応をしてしまう。
天は,だれを助けるのですか?
« 学校からウィンドウズが消える日 | トップページ | いい学校と普通の学校の線引き »
「教育」カテゴリの記事
- 教員になりたての人がすぐ辞める理由(2019.01.12)
- 教育は「願ったもの勝ち」「言ったもの勝ち」ではない(2019.01.08)
- 「一人も見捨てない」は罪な要求である(2019.01.04)
- 列で並ぶこと自体が好きな?日本人(2019.01.01)
「ブログネタ」カテゴリの記事
- 「大人になったら教師はいなくなる」は大間違い(2017.11.27)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 「功を焦る子ども」に成長が阻害される「弱者たち」(2017.09.26)
「学校評価」カテゴリの記事
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
- 最低限の教育の場の確保を!(2017.11.06)
- 「怒鳴り殺し」の生活指導(2017.10.18)
- 9月19日 食育の日と給食大量食べ残し問題(2017.09.19)
「学力向上」カテゴリの記事
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
- 普遍性,汎用性があると誤解する「研究者」たち(2017.11.10)
- 小学校の授業を参考にする高校教師(2017.11.08)
- 最低限の教育の場の確保を!(2017.11.06)
「教職教育」カテゴリの記事
- 「総合的な学習の時間」の指導ができるように教育できるのはだれか(2019.11.24)
- 生徒との対話の中から自然に目標達成へのルートをつくる(2018.12.26)
- 私でなくてもいい,私ではない方がいい(2018.12.14)
- 現実的な教育内容や教育方法の議論がなぜ小学校や高校では役に立たないか(2017.12.29)
- 日本の教育に欠けている「適時的で適正な評価」の発想(2017.12.25)
「仕事術」カテゴリの記事
- ネガティブ・ケイパビリティ~解決困難な問題に正対し続けられる資質能力(2017.12.04)
- 準備体操なしで全力疾走させるような授業はアウト(2017.11.26)
- 歴史用語半減による「ゆとり」が生むもの(2017.11.19)
- 教師の成長力を奪う力(2017.11.19)
- 成長をとめないために(2017.11.18)
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
DSM-IVの基準のどれかにそういうのがあったと思います。
クラスタB群の傾向が強いのでしょう。
ほんとに気の毒だと思います、いくらまじめに考えても何か自分の理想(なりたい自分)とミスマッチが指摘され、それが具体的であればあるほど、敵対していると考えてしまうようです。それ故、表面的な事ばかりが重要視され、中身が希薄化してゆくようですね。
ブログでやりとりしても難しいばかりです。周囲の人も大体は解っていて、表面上、お世辞で塗り固めておくという対応をとることになり、その結果、ますます希薄な対人関係になると思います。○○で賞をもらったとかに、すがりつくのもそのあたりが原因でしょう。また、部活で賞をもらうことだけが全てであるかのような錯覚もとても気の毒です。部活は本業では無いことを忘れてしまい、本業の授業が、、、、というのは子供まで気の毒です。まあ、小学校はほとんど学力云々を付ける必要が無いとまで思っているようで、それも?ですね、学力を後送りにされた子は後にすごく苦しみます。
投稿: 匿名 | 2012/03/17 08:11