ダメだし百科全書としての「メモ」
日経電子版の記事に「仕事ができるメモの鉄則」が紹介されていました。
以前に読んだ「苫米地 思考ノート術」と似ているところがあります。
それは,普通の人が「メモ」(「ノート」)と考えている「メモ」(「ノート」)の概念を捨てること。
でも,これが実践できる人は,やはりある程度の経験を経ていないと無理か?
というのが感想です。
私は基本的にメモをとらないタイプだったのですが,仕事柄,それをとることが「仕事」のようになってしまった時期がありました。
「あのとき,ああ言った,言わない」の押し問答は経験せずにすみましたが,「何かあったときのため」にとるメモは苦痛なものでした。
教育実習で,授業参観のときにとる私の「メモ」は,「ダメだし百科全書」のつもりで書きます。
「子どもの反応に気づけず,流れを止めた」
「質問の意図が子どもに伝わっていない」
「考える対象の範囲(指定)があいまい」
「考える時間を確保していない」
「子どもの反応に気づけず,展開の変化のきっかけを失う」
「子どもの言っていることを勝手に(自分の都合のいいように)言い換えている」
「結論を急ぎすぎる」
「隣の人に聞いている子どもに気づいていない」
「落ち着かないある生徒が視界に入っていない」
「どこを見ればよいか子どもがわかっていない」
「自分の結論を押しつけている」
「考えている子どもの邪魔をしている」
「作業中に声をかけるのは邪魔」
「適切な資料の選択を誤った」
「黒板に書く位置が違う」
「子どもが違うものを答えの根拠にしている」
「もっといいところに着眼している子どもに気づかない」
「説明が速くて子どもが資料を探せずにいる」
・・・・・
次々に「課題」が出てきます。
この例は,まだ「まとも」に授業が進んでいる方。
「どうしたらよいか」を大学生でも一応,考えることができます。
逆に,こういう「メモ」がとれない授業もあります。
その一つは,そもそも子どもに何をさせたいのかがわからない授業。
子どもも私も戸惑うばかり。
あと一つは,熱中しすぎて,メモすることすらできない授業。
ノートを書く暇もないほど,頭を使っていなければいけない授業をたくさん経験した子どもは伸びていくでしょう。
でも,いったん,立ち止まって,自分の考えを書きとめる時間は大事ですね。
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