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面接でわかる教師への適性

 「匿名」さんからは,またご丁寧な長いお話をいただきました。ありがとうございます。
 
 残念なことに,面接というのは,こういう話ができない,歯がゆいものなのですね。

 ですから,印象的で,インパクトがあり,思わずうなずいてしまうような,短い話ができることが求められる。

 実は,これは教師には特に必要な力です。

 5分の「説教」よりも,「20秒の説諭」。

 金八先生のような「長い話」では,生徒はついてこないのですね。

 いちいち辞書の意味などご開陳するような「堅物」では,荒れた学校は立ち直れないのです。

 オーデションに合格するような,優秀な中学生しか,教師を相手にしてくれません。

 面接では,短いインパクトのある話で,子どもをひきつけられるか,そういう「力」も問われているわけです。

 もちろん,そんな「力」が備わっている人はまれなのですけれど。

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コメント

短いインパクトのある話?そんなことでは授業は成り立たないでしょう。
よく日教組の授業について解説した記事を見かけます。
教師がイデオロギー的なインパクトのある話をして(約5分間)授業の残りの時間は
子供に順番に発言させるというもの。
こういう教育は、日本を駄目にするだけで無くあらゆるものを腐敗させる元です。
特に日教組のイデオロギーは歪んだものが多く、情けないものがあります。
最近原発反対のイデオロギーを押しつけてうまく洗脳できなかったという記事も見かけました。
昔は情報源として先生の言葉はとても貴重でしたが、今の社会はネットを通じていろいろな情報が得られるようになりました。一方的に原発は危険だから通しつけても、それではどうしたらいい?という部分があまりにも次元が低いとたとえ子供でも違和感を覚えるのです。過激派という人たちならそういうインパクトのある話に洗脳されますがそういう時代はもう終わりました。

難しいことをわかりやすく説明するということが求められるのです。教育委員にはそういう着眼点は無いのだと思いますが、そのせいで教員不適格者と思われる人たちが現役教師だったりします。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20120301-00000041-ann-soci
こういう報道が毎日のようにあり、採用する側に大きな問題があるといえるでしょう。

 インパクトで採用を決めると、演技性人格障害といえるような人を採用してしまいます。
自治体によって多少のばらつきはありますが採用する側に見る目が無い、そのためコネ採用にというところも少なくありません。かつて政治家からのコネ採用が横行しそれが発覚したので政治家からのコネはあまりなくなりました。しかし相変わらず、教育委員と現役教師の血縁者のコネは無くなっていません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より