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東京スカイツリーと「いじめ」

 ニュースと言えば,定番の「東京スカイツリーネタ」が,TVでもちょくちょく見られるようになりました。

 地元を訪れればわかると思いますが,あの場所は「住宅地」「工場街」でもあるのです。

 「迷惑している人たち」が,「私たちは迷惑をしている」と言えない,そういう盛り上がり方をしていることを,私は一種の「いじめ」であると考えています。

 こういう報道の「偏り方」が,日本社会の最大の特徴でもあるでしょう。

 「あんなの迷惑だ」という率直な気持ちを言葉に出せば,

 「盛り上がりムードに水をさすのか」

 という反応が必ずやってくる。だから,思っていても言葉に出せない。

 まもなく花見のシーズンになり,隅田川散策からスカイツリーに向かう人も多くなるでしょう。

 必ずTVは「開業までのカウントダウン」などを始めて,

 お祭りムードをあおっていくことになるでしょう。

 しかし,これは一種の「いじめ」でもあるのです。

 教室で,「いじめ」のような行動が,「ノリ」で広まっていく。

 そこに「やめようよ」なんて「しらける」言葉を発すれば,自分が次のターゲットになることがわかっている。

 冷静に考えてみれば,開業前の東京スカイツリー周辺に「トイレが少ない」なんて,当たり前のことです。

 でもそれが「問題」になって,慌ててトイレを増やす。

 住民へのサービスよりも,「金を運んでくる人間」へのサービスが優先される。

 そんな社会がいい意味で長続きすることはないでしょう。

 東京スカイツリー開業でお祭りムードが高まることが,地元住民に対する「いじめ」につながる。

 これは決して「飛躍」ではないという感覚が,頭から離れません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より