結局、だれからも学べない人の特徴
教育blogを読んでいくと、人からどう見られるかに異常なほどの神経を費やすばかりではなく、自分を正当化しようとするためにその見方についてしつこい難癖をつけ続ける人がいますね。
よく読めば、「自分と対等に話ができる人間の資格」が書いてあるのです。
そしておもしろいのは、昔から自分自身にほとんど備わっていない資質が自分と対等に話せる資格だと言うのです。
教師に多い、「世間知らず」以前の「自分知らず」というやつです。
この人は、自分がだれのための何の情報を発信しているのか、わかっているのでしょうか?
昔、遅刻してきた生徒を注意したときに「こんなに早く来られない」と逆ギレされ、「じゃあ、何時だったら来られるのだ」といういわゆる「逆ギレ返し」という技を使った教員です。
時間を守って登校していた大多数の生徒に何の相談もせずに、問題の生徒だけに照準を合わせたおかしな指導=「集合時間の変更に関する話し合い」のような愚策が繰り返される、こういう指導のどこがどのように問題であるかが全く自覚できない教師が多いのですが、これが、生徒から「見放される」教師の、あるいは教師集団の最大の特徴なのです。
聞く耳を持たない最大の理由が、新しい記事にはあますところなく書かれています。
どんなに落ち着いた学校でも、こういう教師が一人いれば、積み上げてきたものがすべて無に。
趣味を教育に持ち込もうとする段階で、すでに「組織の一員」ではないのです。
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