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「言語活動の充実」という「観点」が「観点別評価」の問題を浮き彫りにする

 観点別学習状況の評価を適正に行おうとして,多くの「評価のための情報」を収集し,その「多さ」「複雑さ」に辟易して,

 「より簡便な評価」

 「より効率的な評価」

 を求めようとする。

 本来,学習指導要領が示す内容に基づいた学習指導を行うことが,最も「簡便な指導」であり,「効率的な指導」であるはずで,その評価も同じような位置づけができるはずなのです。

 もし,大枠の目標しか示されておらず,内容の明示がなければ,教科書もできません。

 すべての教員が,自分で教材を探し,教科書に変わるテキストを作り・・・・なんてことは不可能ですね。

 本来,考えうる最も「簡便」でかつ「効率的」に行っている学習指導による評価が,簡便でもなく効率的にもできない,そうなっている最大の原因は,繰り返し述べているように,観点別の学習状況の評価という評価の方法がとられているからです。

 大学入試で点数をとることを主目的とした指導や評価の話は,ここでは除外しておきましょう。

 学習指導要領に示された目標を実現するため,あらかじめ示された内容をしっかり指導している現場の話です。

 「言語活動の充実」という「方向性」は,誤っていないと思います。

 そもそも,「言語活動が十分に行われていなければ,学習指導要領に示された目標は実現されない」はずだからです。

 しかし,力がついたかどうかをきちんと評価してこなかった人たち・・・正確にいうと,力をつけるための指導をしてこなかった人たちのことなのですが・・・・は,「言語活動の充実」が叫ばれるようになったので,「言語活動の充実」を図ろうとするようになります。

 そして,やっと,気づくのです。

 言語活動の充実が図られている,目の前のこの学習活動では,何を評価すればよいのだろう

 関心・意欲・態度?

 思考・判断・表現?

 資料活用の技能?

 知識・理解?

 以下に紹介する文章は,「指導と評価」2012年3月号の「言語活動の充実 ~改善の考え方とポイント~」,著者は京都女子大学の井上一郎教授です。

 あまり現場では使われない表現も見られますが,大事なことを指摘しています。

******************

 言語活動の充実は,一つ一つの言語活動も大切にしている。だが,より重視しなければならないのは,まとまった一連の連続体であるということだ。「思考-判断-表現」といった各要素の連続体でもあるし,それを課題解決の過程として見れば,<学習力,思考力,表現力>の統合された一体的な活動でもある。各教科等の評価の観点には,「関心・意欲・態度」「思考・判断・表現」及び「技能」を位置付けている。「知識・理解」とともに,これらが一体化してこそ学力が向上することは周知のことだ。

******************

 「一体化する」のではないのです。
 
 そもそも,学力は「統合された一体としてのもの」なのです。

 そういう「学力」を,「要素」に分けて評価しようとしているので,「学力」が何だか分からなくなってしまったのです。

 言語活動が充実している状況は,統合された一体としての「学力」が見えている状態です。

 一日も早く,評価の仕組みを変えていく必要があるのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より