教師であることをやめるタイミング
「転職」は必ずしも「負け組」のしるしではなく,「転職」できるから「勝ち組」に入れる,という面があるのが今の社会です。
教員を辞めたくなった人にも,ぜひ,人生の新しい道への希望の光を。
ところで,教員を辞めるタイミングとしては,一年間の中で,いつが適切なのでしょうか。
組織として,一番よいのは,異動の調整中のタイミングで辞職を決意してもらって,3月いっぱいで辞める。
一番困るのは,実際には多いパターンの,異動してすぐに,「5月病」で学校に出られなくなり,そのまま辞めるパターン。
教員個人として,一番よいのは,卒業式に出て,巣立っていく子どもたちを見て,何も感じなくなったか,自分が何の役にも立っていないと自覚できたとき。これがベストのタイミングです。
組織としては困りますが,卒業式で何も感じない人間に,そのまま労働者でいられることは,少なくとも子どものためになりません。
逆に言えば,卒業式に参列して,初めて,自分のやってきたことの意味を知る,それが教師の一面であって,ここで何も感じない人はめったにいない,ということです。
自ら命を絶った若い教師の痛ましい事件を,自分の本を宣伝するためのネタとして使っている信じがたい教師がいますが,こういう教師は,卒業式でどんなことを考えているのでしょう。
言い直しましょう。こういう人間は,労働者として,いかに仕事をラクにこなせるかについては本にするまで熱心に整理し,考え抜きますが,すでに「教師であること」はやめている人間です。
教師であることをやめるタイミングとして,最も適切なのは,子どものために尽くす気持ちを忘れたときです。
自分と同じように教師であることをやめたい人間たちに手を貸すために,わざわざ時間をさいて本の編集作業にタッチしたときが,「終わり」のときです。
もうすぐ,次のサイクルが始まります。
報われようと思って仕事をすることが教師としては最低ですが,せめて,それは自分がかかわる子どもが卒業式を迎えるまで待ってください。
もし自分が最低の人間だという自覚ができるのであれば,それは,まだ辞める時ではないということです。
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