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ニュースにならない高校教師の「裏手当」

 報道の大小で重要性を判断してはならない,というのは中学生にも教えているメディアリテラシーです。

 マスコミの事なかれ主義はだれもが知るところですが,

 「たたきやすい相手」はとことんたたき,

 「たたくと他のほこりが出そうだ」というときには

 手を緩める,か,手を引く。

 高校で行われている「裏手当」は,時期が時期だけに,もう

 「お蔵入り」する話題かもしれません。

 どうやら,沖縄県だけの話ではなさそうです。

 「学校」「保護者」「教育委員会」すべて了解のもと,「特別報酬」が公立学校の教師にわたっている仕組みは,「当たり前のこと」だったのかもしれません。

 

 それにしても,PTA会費が教師への「報酬」として渡ってしまうのが当然の世の中なら,

 いっそのこと,学校内での兼業・兼職は大幅に認め,その分,基本給はカットする,そういう「施策」も考えてみたらどうでしょう。

 「部活動の手当てを10倍に」なんてことになったら,

 顧問をいやいややってきた教師たちにはインパクトがあるでしょう。

 親からしても,土日も祝日も面倒をみてくれる教師には,「ボランティアでやってもらっている」とすると,どこかしら後ろめたさがありますが,いっそのこと,おカネを払ってやってもらおう,というのはそれほど抵抗感があることではないかもしれません。

 もちろん法改正が必要になります。

 学力向上の決め手も,

 「どれくらい親から金を集め,教師が放課後に補習をやってくれるかにかかっている」

 なんてものになったらおもしろいでしょうね。

 「塾より安く,効果が10倍の補習教室」なんて宣伝文句で。

 授業中は自習をさせておいて,補習で張り切る教師も登場するでしょう。

 話はずいぶん脱線していますが,普通の勤務時間に,受験や就職用の特別授業(講座)を開いて,親から金をとる,そういう実態を放置したい人は,政府の中にもいる,ということです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より