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教師が苦手な「上手な説明」 ~見るに耐えない言葉の使い方~

 まず,dolceさんに一言。  

 「見るに耐えない」という言葉の用法が気になります。

 類語辞典では,

 光景・姿などが不快であるときに使う言葉で,

 気味が悪い ・ 気色が悪い ・ 醜い ・ グロテスクな(生き物) ・ 見るに耐えない(姿) ・ 見苦しい ・ クサい(振る舞い) ・ 「愚劣の極みだ」

 という意味になってしまいます!

 ここは,せめて,「見るに忍びない」か・・・。

自分の心が誤解されてしまう人は気の毒です。

 あれだけ辞書の意味にこだわる方でも,使ってみて違和感を覚えない言葉というのはあるのですね・・・・。だからこそ,辞書が手放せなかったはずなのに・・・・。

***************

 さて,説明するが下手,という先生がいたら,

 「それでも先生?」
 
 と思われてしまう,と先生は考えます。

 だから,

 説明するのが上手,と思われたい,と先生は考える。

 でも,

 上手に説明しようと思えば思うほど,話は長くなる。

 長い話だから,説明が下手なんだ,という自覚があまりない。

 とにかく,話していれば,話し続けていさえすれば,

 何だか仕事をしている気になる。

 コミュニケーションに不安感をもっている人ほど,説明が,話が,長くなる。

 「コミュニケーションの授業」を受講すべきなのは,先生の方だ,と生徒に叫んでほしい。

 中谷彰宏著『コミュニケーションの授業』(アクセス・パブリッシング)の「まえがき」では,

 「話し方のうまい人は,たくさんの失敗を経験している

 とありますが,先生の場合は,日々の失敗を失敗として自覚する心のゆとりがない。

 だから,失敗を重ねているうちに,どんどん失敗への感度が鈍くなり,

 「上手な説明」の指導の仕方が分からなくなっていく。

 「上手な説明」の条件とは何か。

 ○内容は絞り込む

 ○前置きはしない

 ○単なる「説明台詞」は短いほどよい

 ○自分が楽しんで話す

 ○説明しながら「気づく」

 ○・・・・・

 どんな説明が上手な説明なのか。

 これは自分の授業をきちんとふり返ることで,50%くらいは気づけることかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より