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「問題はない」ことにするのが最善策

 タイトルのような考え方の教師,あるいは管理職がいる学校では,本当に苦労が絶えないことでしょう。

 力のない教師や管理職のとる手が,「問題はない」と断言してしまう方法です。

 言霊文化の最悪の面です。

 「ない」と言えば「ない」ことになる。

 という考え方。

 「ある」と言えば,「ある」ことになってしまう。

 事実を言っているので当たり前のことなのですが。

 「今の現場には問題がある」というだけで,

 「必死に頑張っているのだ」という,問いの答えにはなっていない反応をする人間がいるのです。

 こういうタイプの教師に「やられた」経験がある先生方は多いことでしょう。

 一部の人たちが,「教育委員会がプレッシャーをかけたので学力テストの答えを教える先生が生まれたのだ」

 と,子どもに答えを教えてしまう教師の問題は「なかったこと」にして,

 「教育委員会によるプレッシャー」

 「学力テストを実施するという政策」

 が問題なのだ,主張しました。

 こういうタイプの人は,問題を隠そうとするか,なかったことにするのが常套手段です。

 あるクラスの子どもの問題を,「それは大したことじゃない」

 保護者が対応のまずさに本気で怒っているのに,「おおげさな親だ」などと
  
 という対応をとって,

 「私のクラスに問題はありません

 などと断言した教師がいました。

 次々に明るみになる事実により,

 「問題がなかった」とは言えないことが明らかになると,大変なのは「学校という組織の責任」を問われることになった後のことです。

 管理職が「担任の言うことを信じていました」なんて言えば,今度はそういう管理職を管理する教育委員会にまで火の粉は飛んできます。

 以上のような問題ですら,「その程度のことはたいした問題にはならない」なんていうレベルの学校が,現実にあることをふまえた対策をとらなければなりません。

 取り返しのつかないところまでいかないと,「問題」を「問題」として認識できなかった学校に転任した私が見た世界のことを,具体的に告げる機会が最近増えました。

 「授業の話をする以前に,確認したいことがあります

 と切り出す講師は,私です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より