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評定「5」の具体例を生徒・保護者に開示せよ!

 同窓生の集まりがあった帰りの車の中で,話題が今の中学校の話になったので,評価のことについて聞いてみたところ,やはり大きな不信感をもっている親がいることがわかりました。

 現在,取り組まれている観点別学習状況の評価のほころびは,小学校では見えにくいのです。
  
 A・B・Cの3段階を3・2・1の3段階に総括するだけだから。

 これが,中学校のように,A・B・Cの3段階を5・4・3・2・1の5段階に総括することになると,とたんに?がつきだしてくる。

 繰り返しになりますが,誤解のないように説明すると,

 Aは4と同じ「十分満足」なレベルを表しますから,4観点でAAAAは4でもいいのです。

 5は「十分満足の中でも特に程度の高いもの」なのですが,そもそも,そういう高い質のものが,授業の場面や定期考査の問題の解答で得られているのか?ということが課題となります。

 成績の付け方に関する情報開示で最も大切なのは,こういう授業での状況が「5」のレベル,こういう定期考査の問題でこういう答えを書いているのが「5」のレベルだ,ということを生徒や保護者に知らせることです。
 
 そうすれば,「ひいき」だの何だのという苦情はなくなります。

 しかし,今度は「その程度の答えが本当に十分満足の中でも特に程度の高いものなのか」という批判が加えられるようになります。
 
 それにどう答えられるかが,教師の力量ということになる。

 しかし,こういう力量も,教師にはじめから備わっているわけではありません。

 校内の過去のデータで,あるいは,他校のデータで,こういう作品が「5」に該当するのだな,というイメージができていることが大切です。

 あくまで,学習指導要領の目標や内容に照らして評価するのですが,目標や内容はそれほど厳密なものではありませんから,質的な評価は,多様な質の作品をたくさん見ることで,妥当性・信頼性が高いものになるのです。

 さらに言えば,そういう「多様な質の作品」を生み出すには,それなりの指導が必要となります。

 穴埋めプリントをつくって,そこに文字を教科書や板書からコピペするだけの授業で,「多様な質の作品」ができるわけがありません。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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