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1947年に小学校の保護者が望んでいたこと 【知の面】

 私の手元に,宮地忠雄著『社会科指導の実際』(木村書院刊)という本があります。

 昭和22年=1947年の11月に発行された,東京女子高等師範学校附属小学校の「教官」による本で,小学校における「新教科」としての「社会科」をどうやってつくっていくか,この指導事例を示すために出されたものです。

 東京高等師範とか,東京女子高等師範とかいっても,ほとんどの人は分からないかもしれませんが,教員を育てるためにつくられた学校で,現在の筑波大学とお茶の水女子大学のことです。東京教育大学から筑波大学に変わった時点で,大学は変質してしまいましたが,「附属学校」は今も昔と変わらない場所で同じ使命を果たしています。

 さて,上記の本に,こんなアンケート結果が載せられているのに目が留まりました。

 1947年5月の保護者(第五学年男女組)向けの「要求調査」で,

 「お子さまを立派に育て上げるのには,どんなことを知らせたり,しつけたりしたいと思いますか。それをできるだけ箇条書にして,たくさん書いて下さい」というものです。

 敗戦後,まだ2年もたっていない時点での,小学校の保護者の声です

 該当の小学生は,3年生のときに終戦を迎えたので,2,3年生のときには学童疎開も経験しているのでしょう。

 本の中では整理されていないものが列挙されています(同じ趣旨の内容については,何人から寄せられたものかが示されています)が,ここでは学習関係,生活関係に分けてみようと思います。漢字などの表記は,現在のものに改めてあります。

 【学習関係,「知」の面についての要望

子どもの特徴を活かして,科学班,芸能班等を設けて,個人別に指導を願うこと
 (新しい学習指導要領のもとではなくなりましたが,中学校で言えば選択教科のことです。それを小学生に求めている。)

自由研究等もただ自分で自由にやると言うのではなく,ある程度まで指導し暗示を与えて,興味が湧いて研究できるように
 (総合的な学習の時間の指導には,欠かせない指導の工夫ですね)

わからぬことは徹底的に質問させて中途半端にしておかぬ習慣を

遠足,見学,農耕など,実地の指導をやっていただきたい

学級文庫は非常に結構なれど,つまらぬ読物を読まぬよう,良書の紹介,指導もお願いいたします。(8人)

社会公共のために奉仕する観念を涵養せられたい

時局を認識させるため,新聞を読むことを指導せられたい

自由主義,民主主義は放任を意味することでない事を理解させてほしい。(5人)

教官の個人的政治上の立場を児童に強要しないこと

名曲,名書等を鑑賞する機会を与え情操教育に資せられたい。(11人)

外国語教育は記憶力旺盛なる低学年より始めてほしい。(3人)
 (英語教育は5年生から始まりました。これではちょっと遅い,というのが当時の保護者の感覚です。)

科学の知識を豊富にさせたい。(5人)

適当に宿題を出してほしい

自分は頭が悪いのだと思いこんでいるこの気持ちを除去させたい

社会の実状を知らせ,正しい常識を持たせたい。(6人)
 
政治,経済,法律への関心をたかめるように

正しい批判力を与えてほしい

正しい日本語を教えてほしい

科学的なものの考え方を養成してほしい

全般の学科にテストを多くして,自ら勉強するようにし向けてほしい

全般の学科に質問時間と言ったものを設けてほしい

基礎になることだけしっかりつかませてほしい

自分から進んで勉強する気持を起こさせたい。また勉強の楽しさを味わわせるよう指導してほしい。(4人)

創造力を養うように

疎開中遅れた学科や(理科,算数)不得手なもの(体操)に特に注意して指導してほしい。(3人)

 少数意見ももちろんあるのでしょうが,著者は,以下のような感想を述べています。

 中にはまだ二,三つめこみ主義の教育を考え,古い型の保護者もいるが,とにかく傾聴に値する。

 「つめこみ主義の教育」というのは,昭和22年の時点でも問題にされていたことがわかります。
 
 次回は「徳の面」についての要求を掲載します。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より