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こういう教師が一人でもいたら,放置してはいけません

 こういう教師が学校に一人でもいたら,黙って放置するのは許されません。

 しかし,そういう教師がいることに,同じ学校の教師でも気づかない場合があるのが小学校です。

 中学校の場合は,帰りの会で様々な反省が出されたり,学級日誌に記入されることから,どこかの授業が問題だなということを担任が気づくことができます。

 しかし,小学校は担任だけがほとんどの情報を握っているので,子どもが話さない限り

 「情報が漏れる」

 心配がない。

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その先生は、授業中気まぐれで、市長の娘を褒めちぎってみたり、教科書にある解らない単語を調べさせて、毎回当たるだけという授業でした。調べるだけなら国語辞典や百科事典を使って調べます。肝心の授業らしきことは全くといっていいほど何も無く、南京事件の百人切りの話をしたり、根拠の不明確なことばかりを押しつけ、大変混乱させられました、授業中はったりで俺は何でも知っているから質問してみろみたいな事があって、だれかが教科書にあった「アルマイトの鍋」という記述があり、「先生アルマイト、って何ですか?」と質問したら。その先生ははったりで、「アルミに鈴をメッキしたものだ」と答えたので、私は「先生それ違います、アルマイトはアルミに電気分解で酸化皮膜を付けたものです」と、国語辞典にも載っているほど簡単なことなのでそのページを開いて先生のところに詰め寄りました。

ごまかし、嘘、はったり、気まぐれのほめ言葉(当時は政治家のコネ派当たり前、市長からのコネで入った先生と丸わかりでした)
そして逆ギレ、精神構造はだだっ子そのものという先生でした。

子供にとって困るのは、気まぐれで態度が豹変すること、同じ事をして、褒められること
逆ギレされる子がいるという事実。子供にとって必要なことは変わらない態度であると思います。悪い点があればはっきり注意すればいいのですが、その注意のしかたも、気まぐれ、時につるし上げやさらし者にするということは平然のごとく行われていました。

**********************************

 こういう話を,「ああ,いた,いた」

 と笑って振り返ることができる余裕のある人間が多いのは平和なこの国の象徴的なことですが,傷ついている人がいても,

 「それはその人の心の持ち方の問題だ」

 「みんなが気にしなければ,それでいいのだ」

 といって「個が抹殺」されるのはいつでもどこでも起こり得るのが学校現場というところです。

 同調性圧力の強さに抵抗することで起こるいじめは,こういう教師には防げません

 だから余計に,こういう教師を放置してはいけないのです。

 今回,匿名さんからのコメントで私がなるほどと思ったのは,

 以下の内容です。

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大人の陰口をきかされる事も、私はいいことでは無いかもしれないけれど、少なくとも私には許容範囲です。ネガティブな部分を全て隠すという不自然な人は信用できないと思います。

子供時代を振り返ると、学校で発言や、作文という課題に対して、歯の浮くような美辞麗句をならべることばかり強制されていたようで、長くそういう経験があると、バランス良く物事を考えるのに支障が出てくることが解りました。

ネガティブなことを全てカットして出来たことが顕著に解るのが英語の教科書です。
いわゆる俗語を全部排除してジョン万次郎のころのコミュニケーションだけで押し切っています。

コミュニケーションにはバランスが必要で、ポジティブな用語だけで何でも伝わるというわけにはいかないのです。

ネガティブな感情、「怒り、悲しみ、憎しみ、拒絶、不安」などを出さない子を求め、それを美徳として育てられたらどうなると思いますか?

授業中、ネガティブな感情を全く出さない子供たちへの授業というのがうまく上手に出来た授業であると勘違いしている先生というのが多いと思います。

一人一人理解度も異なり解らなくなったところがそれぞれ違います。それ故ネガティブな「不安、拒絶」を出してくれる方がどこで解らなくなっているか把握しやすいのです。

子供にも、先生のネガティブな面を少し見せられると、「先生も同じ人なんだ」という認識を持てるようになると思います。(量的質的問題は極力注意する必要があり絶えず自分自身にフィードバックする必要があります)

子供が不安を持っているとき重要なのは先生がその個別の不安に逃げではなく、状況によって優しくも、力強くも、その子にあった後押しをすれば良いのです。
意外と、同じところでつまずいているという状況が多いと思います。特殊なケースは個別にフォローするのがいいかもしれません。

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 学校の教師が,自らの問題を問題として認識できない理由が,少しずつ解明できそうなヒントをいただきました。

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やる気のスイッチですが、「池上章」氏の解説、上手だと思いませんか?
かれは興味をそそるような問題の投げかけ、状況の解説を先に行います。
そして、「皆さんこういうときどうしますか」と自分だったらこう考えるというタイミングを与え、詳しい解説を始めます。やる気のスイッチというのは、一瞬で入るものでは無く、徐々に気持ちが高まる効果が必要なのだと考えています。

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 スイッチというたとえは,四コマ漫画の「起承転結」でいえば,「転」にあたる部分ですね。

 徐々に気持ちを高める指導ができる学校で教育できる先生は,それだけで幸せです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より