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大阪府に限らない,教員のいびつな年齢構成

 公立学校の教育現場は,特に目立った政策を実行しなくても,あと10年すればがらっと変わります。

 大阪府の公立高校の年齢構成を見たときに,本当に驚きました。

 45歳以上の教員がかなりの部分を占めています。

 小中と比べても,偏り具合は尋常ではありません。

 高校では45歳以下の教員が,どの年齢をとっても,非常に少ない。

 しかし,あと10年すれば,50歳以上の教員集団が,すべて25歳~35歳くらいの教員集団と入れ替わるわけですから,すべての高校は「若返り」ます。

 以前に述べたことがありますが,あるいは,学校の諸問題は,これだけのことですっきり解決してしまうかもしれません。

 教師の力量の低下,ということが問題になっていますが,今は教師に頼らないでも子どもは育つ時代ですから,余計なことをしなければよい,という極論さえあります。

 さて,「若返り」の動きは小学校ではすでに進行していて,大阪府の場合,あと10年たてば,きれいな「富士山型」の人口構成になります。
 
 ちょっと困ることは,上の年齢の人は,すべてが管理職にならないと,管理職が足りなくなる。

 40歳代で校長,というケースも出てくるかもしれません。

 しかし,そうやって,若い人でも管理職としての資質が身に付く,そういう文化がなかったのが今までの学校でしたから,学校は変わっていくかもしれません。

 いびつな年齢構成は,大阪府だけの話ではなく,ほとんどの自治体が抱えている問題でありましょう。

 「管理職が足りない」問題は,あちこちの自治体で起こってきています。

 そこで,新しい施策が登場するかもしれません。

 今までは,「民間人校長」という程度の「新しさ」でした。

 これからは,今までとは全く違う,「学校管理職」という「専門職」が登場?

 それも,社会貢献に力を入れた企業で,経営のトップを後進に譲った人から選ばれる?

 ・・・あまり人任せではいけないのですが,管理職になって「教師でなくなる人」が多いので,やはり教員はもちろん教育委員会や自治体にもそれなりの睨みがきく,そういう人材でないと,経営は成り立たないのかもしれません。

 そこでようやく,学校の数が多すぎることに国民の共通認識が生まれ,適正規模での学校運営が可能になり,無理に教員を増やす必要がなくなる・・・。

 春のねぼけた夢のような話ではありますが・・・。

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コメント

匿名様,たびたびのコメントありがとうございます。

おそらくどの「田舎」でも,現在の50歳代がいなくなる10年後には,「管理職人手不足」の問題がおこってきます。

一応,東京都の場合はそれを見越して,「管理職候補者」に対する研修を強化してきましたが,やはり倍率が下がると厳しいようです。

研修で身に付く部分以上に,教育管理職の場合は,「人望」というものや「戦略的思考」が重要になってきます。これは,なかなか「教えられるもの」ではなく,「学べるもの」でもない。

いつの間にか,「身に付く」ものです。

それは,どの人にも平等にやってくるチャンスではない。

私の経験から申し上げれば,一定規模以上の学校で,学年主任の補佐として仕事をしっかり理解しながら実践してきて,成果を上げた人,でなければ,「よい管理職」になるのは難しいでしょうね。

信念が全く異質な労働者集団も,「一緒に仕事をしている」感覚がもてた人でないと,「よい管理職」はつとまらないでしょう。

教育管理職の「正しい」仕事とは,いったい何なのでしょうか。


東京都の事はよく知らないのですが、田舎では管理職のポストが空かなくて、主幹教諭、副校長というポストを作っています。
逆に言えば管理職に管理能力が無い、部下を育てる気質も無いというところでしょう。
人数を2倍にすれは働く量は半分です。
理由は簡単、管理すべき対象が同じであり、管理される側からすれば管理するものがあちこちにいてそれぞれ矛盾したリクエストを出す。そういう状態に陥り人数増やしたら仕事は半分になります。

悪いことに、それだけならまだしも、責任逃れの材料にさえもなり得ることです。
労働者を前面に押し出して、ビラ配りなんてしていても処分も出来ない権限で校長やれというのがそもそも間違い。管理職には適切な権限、そしてオブザーバーとして教頭がいれば十分です。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より