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「おかしい人」を自ら判断する「話し合いをしても無駄な人」

 教員にそういう人が多いのは,経験のある人なら納得されるでしょう。

 dolceさんが私のことを批判してきたので,お答えしておきましょう。

自らの身を挺して,「おかしい人」の具体例をお示しいただいていることへの感謝を込めて。

 dolceさんが「おかしい人」と規定しているのが,


1.重要度のランクがつけられない人

2.程度がわからない人

3.バランス感覚のない人

4.自分がおかしなことをやっているのに、他人がすると怒る人

 ・・・・で,私がどれに該当するかというと,

>1はプライオリティとも言われますが、例えば、今回の東日本の災害のように、原発の事故があったという場合、緊急に会議をするので、授業を自習にしておくという場合「授業はどうするの?」とか「子どもにとって、一番大切な授業を放棄するとは何ごとだ」と譲らない人のようなもの。

 ・・・・授業を自習にすることは,荒れた学校を経験した教師なら分かるように,絶対に避けなければなりません。

 特に,あらかじめ出張することが分かっていて,あるいはあらかじめ病院に行くなど予定が決まっていて,学校を離れなければならないときには,時間割の変更などの対応をすべきなのです。

 学校の重要度は,授業があくまでも最優先事項であり,教員の出張はその次なのです。

 これを「命令が出たら従わなければならない」と一貫して譲らないのが「退職教諭」様やdolceさんですが,

 出張というのは,学校運営上あるいは職員が職務を遂行するために必要であると校長が判断した場合に命ぜられるもので,旅行命令は上司の職務命令にあたります。ですから,従わなければならないのは公務員としては正しい。しかし,「自習にしていいから出張してきて」というのが公立学校の当たり前の姿であるという認識はおかしいのです。

 「職務の遂行」のうち,最も重要なことが「授業」であるというプライオリティの認識がない校長,教員がいる学校があるから,公立学校は信用されないのです。

 自分が通える学校がそういうところしかない子どもや保護者は本当に気の毒でなりません。

>2は、子どもを優先するのはいいのだけれど、そのために先生が犠牲になる場合「子どものために、苦しいが頑張るか」という気持ちが大切なのは、常識人ならわかることですが、それも程度ものということがわからない人。

戦前は、教師をしている人の肺結核が多かったと言います。現代では、そういう話はめったに聞きませんが、いくら子どものために頑張ると言っても、先生が健康を害するというのは考えものです。場合によっては、労働基準法に抵触します。でも「子どもはどうするんだ」と一点張りの人がいるんですね。

 ・・・・健康を害するリスクがあるのは,教員だけではありません。

 震災のとき,毛布が足りなければ,自分のものは子どもに与える。

それで自分が肺炎になっても,生徒が肺炎になるよりはまし,と考える。

 教員としては当たり前の行動です。

 逆に,子どもの権利より教員の権利を優先する。このプライオリティがdolceさんたちの共通項です。

 
>3.現実に即した対応ができないということです。だから、おうおうにして、こういう人は実践の場(現場)から離されるということがあります。当然、自分の実践はなくなります。
そうしなければ、ことが進まないからです。みんなが困ってしまうからです。
要するに、現実感(リアリティ)がないのです。現場から離されるから、なおのこと現場の人の気持ちがわからないということもあるのでしょう。そのため、話は空想ばかりになりやすいと言えます。

小学生は朝、集団登校を行なっている学校は多いと思いますが、その時は上級生がリーダーになって学校まで集団を率いるわけですが、学校は前もって「先生がいなくても、リーダーの言うことを聞いて、また、リーダーはみんなのことを考えて・・・」という指導をするのですが「教師がいないとは何ごとだ」とか「子どもに丸投げをしている」などと言い出す人もいます。

 ・・・・「リーダーの言うことを聞いてうんぬん」の批判を私がしたのは,教室での話

 これを,集団登校という「学校外」の話にすり替えてしまう

また,出張のために授業を自習にしてしまう,という話を,「震災が起こって緊急の会議を開くときに・・・」などという極端なケースにすり替えてしまう神経。

 こういう「空想」「飛躍」が好きな人が,どういうことになるかはご自分で紹介されています。

>4の人は、全く自分勝手と言うか、いや、人はそういうこともありますが、普通は自分がおかしいと気づくのに、全く自分の行動には感知しないというところが変です。こういう人にかかると、それこそ自分のことは棚にあげて、と喧嘩になりやすいので気をつけることです。

 ・・・・まさにこれが,私の名づけたミラー現象です。

 >まとめとして、世の中には話し合いをしてもムダな人がいるということを、頭に入れておいた方がよいと思います。

 ・・・・まさにその通りです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より