それは,「教師をかばう」ことだけではないでしょう。
私の言いたいことは,
教師は,自分のことよりも子どものことを考えよう。
それに尽きます。
教師のことよりも子どものことを優先に考えようとしている私への非難が,「だから教員はだめなんだな」と思われてしまうきっかけになるのを十分に理解した上でのことで,
現場にいるときに「目を覚ましてほしかった」というのが本音です。
まず,特に「内容」はない,以下のことについて,
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<「奉仕者」は,「おれは奉仕したんだ」と威張るべき存在ではありません。 「一般の労働者」とは違います。>についてです。
威張るつもりで書いたのではありませんよ。貴君が、あまりにも現役教師や私たちの先輩教師の功績・苦悩等々に無理解に論じられるので、わかって欲しいと思うのです。
それから、教師も一般の労働者となにも変わりませんよ。企業利益からか税金からかの違いだけで、日々、教育労働者として働く労働者です。そして、圧倒的に多くの教師は教育労働者として強い誇りを持っていますよ。貴君は教職をなにか特別なものに考えていませんか。公務員という用語をよく使われますが、たしかに公務員ではあるが、その前に、子どもたちのために働く教育労働者であるんですよ。このことをしっかり腹に入れておかないと、多くの労働者=多くの父母と手を結んだ教育実践はできず、一人よがりの実践になってしまうのです。
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このブログの趣旨は,「教育失敗学から教育創造学へ」なのです。
教師たちの功績をたたえる情報は,そこらじゅうに転がっているでしょう。
現役の教師なのに,自分の「実績」を本にして売る人までいるんですから。
私が問題にしているのは,「教師の苦悩」ではなくて,「教育を受ける側の苦悩」なのです。
「労働者」は,特別な団体の人が使う用語ですね。
「労働者」という言葉を使えば,「労働者の権利」の話ができるから。
「公務員」だと,「全体の奉仕者」だから,都合が悪い。
私と「退職教諭」様の決定的な考え方の違いは,「退職教諭」様の以下の言葉でわかります。
>企業利益からか税金からかの違いだけで、日々、教育労働者として働く労働者です
これ,違います。
どこからお金を得ているか,という違いだけではありません。
「何のために働くか」「だれのために働くか」が決定的に違っているのです。
>公務員ではあるが、その前に、子どもたちのために働く教育労働者である
こういう言葉で自分たちの何が「主張できるか」が,見え見えである以上,以上のようなコメントは,本当の意味で「子どもたちのために働く」人の足を引っ張っているとしか考えられません。
次です。
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<今,実質的な学級規模はどうなっているかご存知ですか? 30人以下の学級が当たり前になっています。>
良く知っていますよ。「30人以下があたりまえ」などということは、全国的には全くありませんよ。小学校低学年・中1だけは35人といったように、僅かずつ部分的に改善が進んでいるのが正しい現実です。
それも長い年月の間、多くの広範な父母・教職員の切実な願いを署名などの方法で行政に訴え続けてきた賜です。こうしたことがなかったら、行政は決して学級定数削減に理解を示そうとはしなかったでしょう。
しかし、まだ道半ば、いえいえまだスタートしたばかりです。子どもたちの幸せのために、この運動はまだまだ続くでしょう。貴君もよくご理解くださって、署名の一筆なりともご協力下さることを切に願うものです。
<「5人」を相手にしても,「40人」のときと同じような仕事しかできない教師もいます。
「5人」ではなく,「40人」だからこそ,一人一人に身につく力もあります。
小規模化すれば,教師の負担は減るかもしれませんが,教育効果が高くなるかどうかはあやしいのです。>
この種の議論は、40人という大人数学級を押しつける行政を擁護するためにするものであり、コメントに値しません。貴君が教師と言うよりは余りにも行政よりであること、(たかが指導主事を経験されるとそうなるのでしょうか。)、現役教師を悪く言われることが悲しいです。圧倒的多くの現場の教師たちは、本当に日々頑張っておられるのですよ・・・・・・。
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誤解していただきたくないのは,私が問題にしているのは,「失敗している」現役教師であって,「すべての現役教師」ではありません。「失敗している教師」「いかにも信頼を得られそうにない教師」を「悪く言う」のは仕方のないことですよね。
「頑張ってるんだから,悪く言わないで」は子どもレベルの話です。
繰り返しになりますが,「本当に日々頑張る」のは,当たり前のことなのです。
ヒットが出なくて苦しむ野球選手も,「本当に日々頑張っている」のです。
でも,批判はされて当然なのですよ。結果が十分にでないときには。
「退職教諭」様の論理だと,「教育,だめだね。でも,教師は日々頑張っているのだから,仕方ないか」
で終わりになってしまいます。
それに,今,問題になっているのは,「日々頑張っている」と呼ばれない教師がいることなのですね。
定数の問題は,教師の質の低下が特に懸念されている今,実施するのは危ない,というのが私の見解です。
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<行政の指導を,「注文や文句」という受け止め方をすることが,教育公務員が信頼されない第一の理由であることは,今までこのブログで繰り返し述べてきました。>
ここらも全く見解の相違があります。
端的に言えば、本来行政のすべきことは、「指導」ではなく、教育現場の「支援」・物心両面での「環境整備」なのですよ。このことは戦後、教育が「不当な力に支配されない」ために守られねばならない大原則なのです。行政の現場への過剰な介入が、どれだけ子どもたちや教師を苦しめてきたことか、これまた、枚挙に暇がありませんよ。そしてさらに不幸なことには、行政が現場に押しつけてきた教育政策なるものに、何一つまともなものがなく、何一つ定着せず、現場を苦しめるだけになっていることです。
ちょつと振り返ってみても、特設道徳、クラブ活動(部活ではないですよ)、総合、選択授業、ゆとり教育等々、まともに機能し定着したものは殆どないのです。これを貴君はいったいどう思いますか!!
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やはり,こうした一面的すぎる教員の「ものの考え方」が,信頼を失う最大の原因なのですね。
「まもとに機能し定着している」学校はいくらでもあるんですよ。
ただ,残念なのは,それは,「指導力のある教師のいる」学校だけの話なんです。
100ます計算みたいな,どんなに力のない教師にでも真似ができる「学習」ではなく,「総合」のような学習はよほどの指導力がないと,定着しません。
私はどう思いますか・・・・という問いには,
教師の指導力を向上させなければならない
としか答えられません。
ですから,まずは,
「どんな状況が問題の状況なのか」
を明らかにしなければなりません。
多くの指導力不足教師は,「自分の何が問題なのか」に気づいていないことが多いのです。
これは,日本の悪い癖ですね。
悪い意味の「思いやり」です。
もっと若いころに,「そんな授業じゃだめだね」と言われていれば,どうにか改善の努力にこぎつけたかもしれない。
でも,「思いやり」のある人は,だめな人に「あなたはだめな人ね」とは言わない。
それが逆効果になるとわかっているから。
逆効果になるのが,「指導力不足の教師」になり,
そうではない人が,もしかしたら「伸びていく教師」になる。
せめて,学習指導要領の解説に書かれていることが読めて,理解できている人を教員に採用しないとだめです。
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さて、最後は「出張」云々です。
貴君の言うようなことは、失礼ながら、全く現実的に馬鹿馬鹿しい気がします。市町村教委・都道府県教委・文科省に限りなく弱いのが現場の管理職であることを、貴君は知らないのですか?!
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ということは,「退職教諭」様が校長だったとしても,黙って従うしかなかったということですね。
そういう「怒り」は,退職した今なら,「正しい教育の在り方」を直接的に指摘・提言できる立場にあるわけですよね。
何か取り組まれていますか?
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<私の指導主事時代は,次年度の研修等の計画は校長会の許可を得て,3月上旬に決定しています。そして,それぞれの内容も,あわせて3月中に各学校に周知することになっていました。だから,「意味のない出張」にならないように,あらかじめ各学校にとって必要な内容を整理し,各学校の発表等のための事前の準備が計画的にできるように配慮していました。>
こんな「配慮」で役に立つと思っているのですか?なんの役にも立ちませんよ。現場に
本当に必要なものなど出て来ませんよ。はっきり言って、現場には指導主事等やっかいものであり、指導主事訪問などはlご機嫌とって気分良くお帰りいただく、そんなことに腐心しているのです。半日やそこらの教育活動をみて、悪く言われたのでは、現場の管理職はたまりませんからね。ですから、帰られたあとは、たいてい批判ゴーゴーが多いですね。前述の「出張」云々も、実は指導主事の仕事を作ってやっている側面が強いですね。
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>指導主事訪問などはlご機嫌とって気分良くお帰りいただく、そんなことに腐心している
地方では,まだそういう空気が残っているところも多いのでしょうね。
でもそれだけでは,あくまで「礼」の一種であって,「実」がないことはおっしゃる通りです。
指導主事の在り方については,私の経験をふまえて,また後日,記事にしたいと思います。
私からの要望は,
では,「退職教諭」様は,何をされますか?
ということです。
このブログを読むよりも,もっと「すべきこと」がありませんか。
逆に,こんなブログを書くよりも,「すべきこと」はないのか,と逆襲されてしまうかもしれませんが,今回のようにコメントをいただいたりすることで,より教育現場の問題が浮き彫りになって「教育の世界の透明性」が高まることに意味があると思うので,続けていきたいですね。
今のところ,「退職教諭」様の一連の発言は,もちろんすべてではありませんが,「これが先生という職業の人の伝統的なものの考え方だな」というメッセージとして教職に就こうとしている人たちの参考になっていると思います。ありがとうございました。




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