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「頭のおかしい人」よりdolceさんへ ~教員採用について~

 また「教育に情熱をかける教師のために」に「頭のおかしい人」=私が登場しました。

 久々にdolceさんによる「クリーンヒット」ですね。本領が戻ってきました。

 記事のタイトルとは何の関係もない内容で登場するあたりが,いいところです。

 私=「頭のおかしい人」による,

 「採用試験に合格して、指導力のない教師より、コネで入って指導力のある教師のほうがいい

 という,ある話題の中での極論を持ち出して,非難してくるとともに,「指導力のある教師」と「指導力のない教師」の違いがわからない,という疑問を投げかけていただいております。

 教師のコンピテンシーのほか,「指導力のある教師」だけでなく,「指導力のない教師」の事例はたくさんこのブログで紹介してきていますから,お読みいただくしかないのですが,ここではあらためて,

 「指導力のない教師」と「コネで教員になれた指導力のある教師」とどちらがいいか,考えていただきたいと思います。

 「コネ」に関していやらしいイメージしか持っていない人には,次のようなケースも考えてみてください。

 大きな手術をするのに,どんなに評判が悪い病院でも,免許をもっているのだから,医師はだれでもいい,と思うか,信頼できる人から紹介された医師を選ぶか。

 どうですか。

 「頭のおかしい」私の言いたいことは,二つあるのですね。

 現行の採用試験が,必ずしもよい人物を選抜できていないこと

 つまり,現行の採用試験で選ばれた教師の中に,極度の指導力不足や犯罪行為に走るような人物がいること。

 もう一つは,学校現場は,本当に指導力のある教師を強く求めていること

 このことから,極論ですが,コネがある=信頼できる人物のお墨付きがある人物で,そのことがあるいは合否に有利に働いて,採用試験に受かり,期待どおりに指導力を発揮する人物の方が,「ミスチョイス」した人物よりも子どものためにはなるだろう,という考え方が生まれているのです。

 「それはおかしいぞ」という意見があるのは当然,わかりますよ。

 しかし,「採用試験を通っているのだから・・・」という言葉に何の説得力もないことは,教師はともかく,子どもを学校に通わせたことがある親なら,わかることでしょう。

 現実問題として,教員採用試験で「教員として適切な仕事がこなせるとは考えにくい人」が合格しており,その見直しは「大量採用の時代」を迎えるにあたって,絶対に欠かせないことなのです。

 採用試験への合否を左右するものが何であるか,dolceさんはわかっていません。

 それは,dolceさんが一番嫌っているものなのですね。

 要は,ペーパーテストができること,これでまずはじかれてしまう「優秀な人材」がたくさんいる。

 これは,とても多くの非常勤講師の先生に接してきた私は,はっきりと断言できます。

 「早く合格してほしいな」という人がたくさんいます。

 そして現場の学校内を見れば,「こんな人でも受かっているのに」という教員がいる。大量採用の時代の人がすべてとは言いません。

 教員採用のあり方,そして,現職教員の指導力不足の問題,これに対する多面的な解決方法として,現場でかなりの経験と実績を積んでいる人物,あるいは特定の分野で非常に大きな功績を残した人物などを,積極的に登用するような採用のあり方を,民間人登用と同じように進めてほしいという願いがあるのです。

 「仕事のできる人」であるかどうかは別として,

 私は「裏方」に甘んじている,力もあれば,情熱もある,そういう非常勤講師を知っているのです。

 そういう人は,みなさんの学校現場にはいませんか?

 dolceさんのように,

>指導力があり、かつ教師としてふさわしい人が漏れてしまうような試験はおかしい。
>そんなおかしな試験をやっているのだろうか?

 といって,教員採用試験の内容も,倍率も,何もわかっていない人が,簡単に教師になれた時代ではないのです。

 ご自分がさんざん記してきた「テスト」についてのあれこれが,単に人を非難するためだけのものだったことが,こういう場面で露呈してしまうのですね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より