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小学校の教師が信用できない理由

 授業で指導力がないのを見るのがその最大の原因なのですが,

 たとえば,「授業参観で見せる授業を何しよう

 なんて考えるあたりが,「授業がいかに計画的に行わなれていないか

 「普段の授業がいかに適当なものか

 が見え見えになってしまうのですね。

 逆に,中学校の教師の場合は,「普段通りの授業をやる」と宣言して,本当に普段通りのダメな授業を堂々と参観してもらって,うまくいかない理由を子どもの低学力のせいにする,ということが起こるのですが,それはおいておきます。

 アマゾンで検索したら,「授業参観用の授業の本」なんていうのが売られているんですね。

 これ,中身を見ていないので授業自体を批判することはできないのですが,

 親がそういう本の存在そのものを知った場合,まず第一に思うのは,

 「私たちは,普段,どういう授業をしているのかを見に来たのだ」という気持ちが,教師には伝わっているのだろうか?

 という心配なのです。

 小学校の教師の中には,「保護者参加型の授業を」と言う人もいますが,

 保護者は,授業に参加しに来るのではなくて,

 「普段の授業での自分の子どもの学習状況を見に来る」のではないですか?

 それが,授業公開,授業参観の意味ではないですか?

 もちろん,学校の教育方針として,

 保護者参加型の学習を研究しよう,というのなら,話は別ですが,

 授業参観のときに

 プリントの答え合わせをしていた先生,

 冊子をつくるために紙を綴る作業を延々と子どもにさせていた先生を見た

 と証言している小学校教師もいますから,トンデモない小学校はいくらでもあることは確かです。

 教師が自意識過剰状態から抜け出せば,

 「普段より子どもの活動が多くなる授業」とか,

 「子どもが今まで学んだことを生かして自分の考えを述べる時間が多い授業」などが

 授業参観には向いているだろう,と発想できるはずですが,

 この場合,「力をつけさせてあげられなかった子ども」の現状が参観したすべての親にわかってしまいますから,そういうのは「避けたい」という気持ちは,子どもの側に立っているのであれば,許されるような気がします。

 いずれにせよ,こういう「授業を見た後の感想や意見」をきちんととっているのか,そういう「感想や意見」をどうふまえて,今の授業があるのか,といった「やりとり」がない学校では,参観する側の親の「見る力」も育たないでしょうから,学力向上は難しいでしょう。

 小学校までですよ。親の力が子どもの学力に反映するのは。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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