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非常勤講師が体罰をできる学校とは?

 真岡市の中学校の非常勤講師の先生が起こした体罰(子どもは腹水をたまらせ入院)のニュースが入ってきました。

 怪我をさせたからダメ(怪我さえさせなければ体罰してもよい)

 というわけではもちろんないのですが,普通に考えれば,

 「非常勤の先生が体罰をふるえる学校」

 という「学校風土」とはどのようなものか,と疑問に感じる人が多いのではないでしょうか。

 私が一番気になっているのは,まさかそんなことはないと信じたいですが,

 「体罰ができて一人前」という空気はなかったか,

 常勤の先生が体罰をしている場面を,その非常勤の先生は全く見たことがなかったのか,

 ということが知りたいです。

 非常勤,というのが意外だったのですが,「なぜ先生が体罰をするにいたるか」という問いに対しては,本当におこした人だけの責任ではなく,学校の全教員が何らかのかたちで答えていくことが必要だと思います。

 当然のことですが,

 「もう二度といたしません」

 という答えだけでは,だめなのです。

 愚かな教員は,体罰の問題があった後,わざわざ生徒に対して

 「私たちは体罰は決してしません」などと宣言してしまいますが,

 こういう行為は,子どもと教師との間の信頼関係にさらなる溝を深めていくだけです。

 「脱体罰宣言」をしたために,以前にも増して荒れ放題になった中学校があるのを知っています。

 「体罰はなぜ起こってしまったのか」ということをつきつめて考えることなしに,子どもと教師との間の信頼関係というのは成立しません。

 「問題をおこした人を切る」

 のではなくて,「どうしてそのような問題が起こったのか」を考え抜くのです。

 そうやって,子どもを育てているのと同じように。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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