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内田樹と国旗・国歌

 国旗を前にして,本気で「戦っている」教師を子ども時代に目にしている人はどのくらいいるでしょうか。

 「処分が怖いから嫌々立って,歌っている」と思われる教師たちも気の毒ですが,普段の授業からは考えられないほどの熱心さで「国旗」を引きずり下ろそうとしていた教師たちを見たかつての子どもたちは,どういう思いをもっていたのでしょうか。

 そこまで本気になれることには,やはり何かしらの「意味」を感じていたことでしょう。


 内田樹は「ためらいの倫理学」の「愛国心について」の中で,次のように述べています。

 国家と国民の関係は「ねじれ」ていて当たり前なのである。国歌や国旗に対しては「愛着と反感」を,「誇りと恥」を同時に感じてしまうというのが,近代国家の国民の自然な実感なのである。

 しかし,大部分の国民(生徒)にとっては,国旗を引きずり下ろそうとする教師に反感を覚え,「恥」と感じてしまうのが自然だったことでしょう。

 国家は,その名の下で,数々の偉業を達成したり,愚行をおかしたりしてきたのは確かです。

 一方では,偉業ばかりをことさらに強調した教育を行い,片方は,愚行ばかりを詳しく教える教育を行う。

 いずれにしても,教育は国家から逃げていく国民ではなく,国家を背負っていく国民を育てるのが使命でしょう。

 国家が誤ったことをしようとしたら,ストップをかける国民です。

 教師が誤ったことをしようとしたら,ストップをかける国民です。

 「偉業と愚行の歴史」。両者のバランスを保った「たのもしくもやりきれない」国家観をもった人にとっては,国を「背負っていく」「自分の責任としていく」という自覚を,象徴しての「国旗」「国歌」にこめていく必要があると考えています。

 内田樹は自殺した広島県の高校校長に「どっちつかず」という立場・国家観を守った人,という評価を下しています。

 しかし,組織を動かす人が「どっちつかず」の態度をとり続けた結果が,今の日本だと考えれば,感性としては「どっちつかず」でも,行動で責任を示すことが正しいのではないでしょうか。

 強く要求する側がいて,強く反対する側がいる。そっちの方が私としては将来の活力を感じます。

 相変わらず,頑強に反抗する教師にも,どこかしら,たのもしさを感じます。

 願わくば,その活力を,目の前の子どもの教育にもっていっていただければ・・・。

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コメント

>相変わらず,頑強に反抗する教師にも,どこかしら,たのもしさを感じます。
これは歪んでいると思いますよ。頼もしいのではなく単に決まりやルールを守らないことで自己主張をしているに過ぎないと、冷めた目で子供たちは見ていると思います。
そういう教師に限って、授業がデタラメ、猥褻行為やりたい放題という実例ともいえる教師を自分が中学生の時実感しました。

いつの間にか白か黒か、全か無かという思考パターンに引きずり込まれていると思いますが、いかがでしょうか、一度冷静に見直してみる必要があると思います。

インパクトのある先生は必要ないと思います。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より