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「言語活動の充実」によって学力が低下する

 この記事のタイトルは

 「学び合い」が学力低下の原因である

 にしようとしたのですが,内容を読まれないと誤解されるだけなので,標記のものにしました。

 「言語活動の充実」が求められている,

 さあ,話し合いだ!

 さあ,発表だ!

 などと,愚かさを絵にかいたような反応をする学校がある(今では研究会でも同じ現象が起こっている)のがたいへん気がかりです。

 「言語活動の充実」とは,何のためのものか。

 これが目的ではないことは,文字面では理解できても,本質を理解できない人が,現場には山のようにいるのです。

 「言語活動を充実させる」のは,教育の目標を実現していくための方法の一つにすぎません。

 「学び合い」も,教育の目標を実現していくための方法の一つにすぎないのです。

 小学校の高学年にもなって「学び合い」に熱心だったようなクラスの子どもは,中学校に入って相当苦労することになります。

 一人でじっくり考え抜くこと,自分の頭で考え抜くこと,人の話をしっかり聞き逃さないように聞くこと,こういう習慣がまるでついてない子どもたちが,まず中学校の学習でつまずくのです。

 いつもだれかが助けてくれて,教室内を歩き回れて,いつしゃべってもかまわない,こういう教室の「居心地の良さ」は,小学校で卒業してもらわなければなりません。特に,学習の場面でです。

 「表に出せる言語活動」の前に,「頭の中で行う言語活動」がしっかりできていない子どもが,中学校にはたくさんいます。

 一人で解決させる場面をあえて奪って,容易に「助け合ってしまう」小学校の「学び合い」は,子どもの学力向上にとって大きな「障害」となります

 ・・・・・とここまで書いて,こういう「一人でじっくり考え抜くこと」ができない人間は,小学生だけではないことがはっきりしてきました。

 「授業参観を成功させる授業の指導本」を買う教師たち。

 「子どもを魔法のように動かす指導本」に飛びつく教師たち。

 よい実践の,「指導方法」だけをまねして,失敗していく教師たち。

 全く同じ「失敗経路」をたどっています。

 この「失敗経路」は,「安易に成功を求める」というだけの「間違い」ではありません。

 「永遠に成功しない迷路」への道なのです。

 同じ学校の教師たちが,同僚の教師の本をみんなで読んで,同じように力をつけている,それなら信用しますよ。でも,もしそうだとしたら,教師個人の名前で本を出すのはおかしいことでしょう。

 いつからそういう伝統が小学校にあるかというと,そういう「古典」があるからですね。

 同じ学校の教師にはろくに目を向けないで,外ばかり見ている。

 日本人は,「内向き,下向き,後ろ向き」と批判されることがありますが,

 「外向き,上向き,本屋向き」のこういう教師たちが,小学校教育のレベルを本当に上げることができているのでしょうか。

 ここだけの話ですが,ある雑誌の編集者が,あまりに粗末な枠組みで重い話題を書けと言ってくる。この理由は,「教師は,長い文章は読まない」というのが本音のようです。

 こんな雑誌を読んで,力がつくわけがありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より