ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 「忙しそうな教師」になってはいけない | トップページ | 学校評価の「お薦め自由記述内容」 »

「児童・生徒による授業評価」に反対している教師たちへ

 授業改善に役立つ児童・生徒による評価とはどのようなものでしょうか。

 このような検討を校内で行おうとするとき,まず立ちはだかる壁が,

 「児童・生徒による評価」そのものに反対する教師たちです。

 こういう教師たちの姿勢こそが最も改善すべきこと,
 
 こういう教師たちの授業こそが最も改善されるべきもの

 であることが多いのですが,この壁は厚い。

 では,どうしたらこの壁を壊せるのか。

 まず,壁を「薄くする」にはどうしたらよいか。

 児童・生徒による授業の評価は,あくまでも「授業」の評価であって,「教師」の評価ではないこと。

 もちろん,教師が授業の中でどのような役割をどう果たすべきかを検討することにはなりますが,「授業」は教師一人で成立するものではありません。

 具体的にこういう質問項目を,というのはあえて出しませんが,

 授業は教師一人で成立するものではない(当たり前のことなのですが)

 ことが児童・生徒が自覚できること,教師自身も強く自覚できるようになる

 ような結果になるだけでも,「評価」の意味は大きいものになります。

 児童・生徒が「授業に参加していない」授業の根絶が,まずは「評価」の第一歩となります。

 こういった授業の対極に,「学び合い」という名のもと行われている「授業になっていない授業」がある。

 「授業になっていない授業」の方が,児童・生徒からは高く評価されるのではないか,という恐れがある。

 そういう「恐れ」も,「児童・生徒による評価」に反対する理由の一つでしょう。

 しかし,

 授業の目標が何であり,授業の結果,目標に照らして何がどの程度,達成されたかが授業評価の柱の一つですから,「誤った学び合い」の化けの皮がはがされるのは明白です。

 授業はどうあるべきか。

 この問いの答えを追究するのは,教師だけの仕事ではない

 こういう姿勢を学校が示すことが,授業改善の第一歩なのです。

 にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 経営ブログ 仕事術へ

« 「忙しそうな教師」になってはいけない | トップページ | 学校評価の「お薦め自由記述内容」 »

教育」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「児童・生徒による授業評価」に反対している教師たちへ:

« 「忙しそうな教師」になってはいけない | トップページ | 学校評価の「お薦め自由記述内容」 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より