「個性重視」という「きれいごと」
子どもを評価しようとするとき,それは「普遍性」「規準に照らしてみた現状」という見方をするのか,「個性」「独自性」という見方をするのか,どちらか,と問われたら,学習などの場合は特に,前者だと答える人が圧倒的でしょう。
そうでなければ「嘘」になってしまうからです。
そもそも教師たち自身が,普遍的なもの,というより,だれかが成功したものの物まねをしようとする。
どこにも「個性」などありません。
・・・いや,決してそんなことはない。
「普遍性」と「個性」は「創造的なもの」かどうかととらえることによって,それぞれが相互補完的なものとなる。
そういうものの考え方もあります。
学校経営もこれと同じです。
「現状維持」こそがよいと「保守的」にとらえようとするか,
「現状に満足しない」と「創造的」にとらえようとするか。
学校の教師の議論がなかなかかみ合わないのは,
もののとらえ方,考え方がそもそも食い違っていることが原因であることが多いのです。
立脚点は,「保守的な学校」なのか「創造的な学校」なのか。
この共通理解を得ることだけでも,学校という組織は困難な場所なのかもしれません。
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