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「個性重視」という「きれいごと」

 子どもを評価しようとするとき,それは「普遍性」「規準に照らしてみた現状」という見方をするのか,「個性」「独自性」という見方をするのか,どちらか,と問われたら,学習などの場合は特に,前者だと答える人が圧倒的でしょう。

 そうでなければ「嘘」になってしまうからです。

 そもそも教師たち自身が,普遍的なもの,というより,だれかが成功したものの物まねをしようとする。

 どこにも「個性」などありません。


 ・・・いや,決してそんなことはない。

 「普遍性」と「個性」は「創造的なもの」かどうかととらえることによって,それぞれが相互補完的なものとなる。

 そういうものの考え方もあります。


 学校経営もこれと同じです。

 「現状維持」こそがよいと「保守的」にとらえようとするか,

 「現状に満足しない」と「創造的」にとらえようとするか。

 学校の教師の議論がなかなかかみ合わないのは,

 もののとらえ方,考え方がそもそも食い違っていることが原因であることが多いのです。

 立脚点は,「保守的な学校」なのか「創造的な学校」なのか。

 この共通理解を得ることだけでも,学校という組織は困難な場所なのかもしれません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より