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開いた口がふさがらない「学び合い」の実践事例

 これ,書名を挙げたら編集者の大学教授に気の毒なので,ふせておきますが,

 「公立学校が馬鹿にされている」どころではない,

 「国立大学の教育学部が馬鹿にされる」とんでもないレベルの原稿が活字になっていることにびっくりしました。

 この世のものとは思えないほどひどい授業で「開いた口がふさがらない」状態になったことはありますが,活字にするようなものは,どんなに実践能力がなくても「書くだけは書ける」のが大学教授だったはずで,本を読んで開いた口がふさがらなくなったのは,「仕事術」以来のことでした。

 そのまま引用すると問題があると思うので,内容をふせて,どうやって「指導事例」を紹介しているか,以下でご覧いただきましょう。

 なぜか,冒頭には「教師用指導書の目標」とあります。

 中学校の教師で,「教師用指導書」を使って授業する人は,初任者くらいの話でしょうに・・・。

 ここでは,「Aの理由を,Bと関連させて理解している」というのが,教師用指導書の目標。

 子どもにわかりやすい目標に言葉を換えると?

 というパターンで,「言い換え」が行われています。

 「全員が,Aの理由を,Bと関連づけて,皆さんに納得してもらえるようにわかりやすく自分の言葉で説明することができる

 これ,もうすでに「評価の観点」がすり替わってしまっていることに,お気づきになりましたか?

 子どもにわかりやすい目標に変換したとたん,目標が変化してしまいました

 この程度は,序の口。

 次が,爆弾発言。

 手立ては?

 「みんなと相談しながら,やってみよう」・・・・!!!

 図書館から役立ちそうな本や国語辞典を持ってきておく???

 ・・・(絶句)・・・驚愕の「指導法」ではないですか???

 こんなことが書かれている本を,2000円近く出して払った人は,怒りませんか?

 中学校の歴史だと,Aに入る言葉も,Bに入る言葉も,「辞書を引けば出てくる」ものではないのですよ!

 小学校で,本からノートに「平行移動」しただけの言葉を子どもが発表しているのをよく耳にしますが,そのレベルで中学校の学習を捉えているこの大学教授は,間違いなく,元小学校教員だ!・・・・と思ったら,元中学校の理科の教員でした。

 子どもたちは,教科書と副読本,図書館にある役立ちそうな本を読んで,「みんなと相談しながら考える」ことで,「Aの理由を,Bと関連させて理解する」ことができる?なんてことを本で書いてしまうから,そしてそれを読んだ教師がその通りにやってしまうから,学校が「こんなこと」になってしまうのではないですか???・・・という批判を受けざるを得ない本になっている。

 「全員が~」

 「みんなで相談」

 を何よりも大切にしたい,という気持ちはわかりますが,

 何も,教科学習でそれにこだわる必要はないのです。

 7・5・3の法則通りにやろう,と言いたいわけではありません。

 「全員」とか「相談」にこだわれば,

 絶対的に「時間が足りなくなる」のですよ!!!

 私はこうやって小学校の授業をしてきて,江戸時代までしか終わらず,明治時代以降はビデオを見ただけでした・・・・という子どもを中学校でたくさん見てきているのです。

 これをもし中学校で繰り返したら,

 「反乱」を起こされても文句は言えないでしょう。

 中学生たちは,「反乱」ではなくて,「逃散」して塾という「荘園」で伸び伸び学習しているのかもしれませんね。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より