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アンケートによって「いじめ」が増加?

 いじめが4年ぶりに増加したと文部科学省が発表したそうですが,その理由が,

 「いじめが起きていないかどうかのアンケートを実施した学校が2割増えたから」???

 ということは,これまでもアンケートをとっていさえすれば,いじめはたくさんあったはず,と考えることもできますね。

 いじめは,その数が多い少ないでどうこうというものではないことは,現場の教師が一番よく分かっていることです。

 100個くらいある,「どうでもいい」いじめと,1つくらいしかない,「何とかしなければならない」いじめが同列に扱われるのはおかしいことです。

 そして,こういう「1つ」に限って,実は数字には上がっていないことが多いのです。

 学校が調査の数字で出しやすい「いじめの数」は,「上手に指導してなくなったと言えるもの」の数です。

 教師が指導して簡単になくなるようないじめは,実は根っこの部分で質の悪いいじめを育む結果になっている場合がある。そして,それは見えないいじめになる。

 子どもたちが,どうして子どもたちを「いじめ」なければならないのか。

 その答えは,小学校時代から積み重ねられた「先生が望む児童・生徒のふり」の「金属疲労」にあります。

 地域によっては,家庭でも,「親が望む子どものふり」で疲れている子どももいるでしょう。

 水は低いところに流れるもの。

 精神が疲れた先に見えるのは,自分より「弱いもの」,「弱そうなもの」で,そういう相手をいじめることで,とりあえず,自らの精神の安定を図る。

 しかし,結局,「してはならないはずのこと」をわかってやっていることがわかるようになり,ますます金属への亀裂が深いものになっていく。

 「いじめられている子どもだけでなく,いじめている子どもの方も深く傷ついていく」というのはそういう意味です。

 「学び合い」によってストレスをためていく子どもたちの逃げ場が,「いじめ」になっている事例に早く気づくことを願っています。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より