アンケートによって「いじめ」が増加?
いじめが4年ぶりに増加したと文部科学省が発表したそうですが,その理由が,
「いじめが起きていないかどうかのアンケートを実施した学校が2割増えたから」???
ということは,これまでもアンケートをとっていさえすれば,いじめはたくさんあったはず,と考えることもできますね。
いじめは,その数が多い少ないでどうこうというものではないことは,現場の教師が一番よく分かっていることです。
100個くらいある,「どうでもいい」いじめと,1つくらいしかない,「何とかしなければならない」いじめが同列に扱われるのはおかしいことです。
そして,こういう「1つ」に限って,実は数字には上がっていないことが多いのです。
学校が調査の数字で出しやすい「いじめの数」は,「上手に指導してなくなったと言えるもの」の数です。
教師が指導して簡単になくなるようないじめは,実は根っこの部分で質の悪いいじめを育む結果になっている場合がある。そして,それは見えないいじめになる。
子どもたちが,どうして子どもたちを「いじめ」なければならないのか。
その答えは,小学校時代から積み重ねられた「先生が望む児童・生徒のふり」の「金属疲労」にあります。
地域によっては,家庭でも,「親が望む子どものふり」で疲れている子どももいるでしょう。
水は低いところに流れるもの。
精神が疲れた先に見えるのは,自分より「弱いもの」,「弱そうなもの」で,そういう相手をいじめることで,とりあえず,自らの精神の安定を図る。
しかし,結局,「してはならないはずのこと」をわかってやっていることがわかるようになり,ますます金属への亀裂が深いものになっていく。
「いじめられている子どもだけでなく,いじめている子どもの方も深く傷ついていく」というのはそういう意味です。
「学び合い」によってストレスをためていく子どもたちの逃げ場が,「いじめ」になっている事例に早く気づくことを願っています。
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