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1対1でモノが言えない教師に「学び合い」の指導はできない

 学校評価で,とりわけ,最も効率の悪い「年度末評価」で,初めて管理職に対して重要な投げかけをする教師がいます。

 「ここぞ」とばかりの投げかけです。

 昔は,職員会議でそれができました。

 今は,それができるのは「学校評価」だけになりました。

 「だけ」と言いましたが,それは学校内で最も「無責任」かつ「仕事の仕方を知らない」教師に限った話です。

 目の前に救われるべき子どもがいるのを放置して,何ヶ月か後に,「あのときだれだれはなぜ何何をしなかったのか」などと言っても意味はありません。

 同じようなことを「無責任」かつ「仕事の仕方を知らない」教師たちはやっているのです。

 多くの自治体で「職務面接」が行われていると思いますが,やはり,4月,7月,12月,2~3月の4回は少なくとも必要です(時期については異論があるかもしれませんが)。

 そこで1対1になったときには,何も言えない教師がいる。

 「集団の力」で管理職に対抗できるのが昔の職員会議でした。

 管理職に面と向かって,自分の考えを述べ,納得させる,そういう努力はいつでもできるはずなのです。

 ここでの「自分の考え」とは,校長に言っても何も始まらないようなことは含まれません。

 新しい学習指導要領の趣旨に反対だ,なんていうことを校長に言っても始まりません。

 職務命令ひとつで終わりです。

 教育課程届けに書かれた目標なり指導の重点をしっかり見つめたとき,個人としては何をどこまで実現することができているのか。それを阻んでいる要因は何か。多くの角度からの検証が欠かせません。

 分掌,学年,教科という集団で,しっかり話し合うことです。

 その話し合いで登場した着眼点,小さな話題,ひっかかり,こういうことが,学校改善の突破口になるような,解決の糸口になるものが隠れているのです。

 これを見いだし,校長や副校長に届けることができるか,どうかです。

 経営のことだけを考えていられるのは,管理職だけです。
 
 経営の改善に役立つ情報をもっているのは,本当は分掌や学年,教科という組織なのです。

 校長の側も,もっと教師からの情報収集につとめてもらってもよいでしょう。

 授業観察など,自分の目で見るものの価値はもちろん高いでしょうが,効率が悪い。

 組織を生かせば,それだけで学校評価で「堂々と公表できることがら」が次々に生まれてくるでしょう。

 こういう組織的な動きができない教師が,子どもに「学び合い」を勧めていることがナンセンスなのです。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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