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ゆとり世代の「成長の芽を摘んだ」教師たちの反応

 大卒の「ゆとり世代」が社会人デビューする年となりました(大学現役合格の場合)。

 彼らが平成14年に中学1年生だったとき,教科の学習時間が大幅に削減されたのと同時に,「総合的な学習の時間」がスタートしました。

 この時間は,

○ 自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
○ 学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の在り方生き方を考えることができるようにすること。

 をねらいにしたもので,こういう力が本当に身についているのであれば,「何とすばらしい世代か」と呼ばれるはずでした。

 「頼りがいがある世代」。

 しかし,学校によっては,十分に指導しきれなかった。

 「総合の良さ」について「語れない」教師がそもそも多すぎた。

 この時間にどのようなことを学習したかは学校によって違いますから,いつかどこかでアンケートをしてみてもらいたいものです。

 「何を学んだか」
 「どんな力がついたか」

 社会人になった段階くらいで,一度,義務教育の評価を国民にしてもらうというのもいいでしょう。


 さて,この「総合的な学習の時間」は,新学習指導要領でも「無くなっていません」。

 それなのに,「総合的な学習の時間は終わった」というような捉え方をしている教師がいます。

 過去のことをその成果の検証なしに,ただ「繰り返している」だけの学校もあります。

 なぜ「ただ繰り返す」のか,というと,

 「新しいものをつくるのは準備がたいへんだから」。

 こういう教師たちは,自分の専門教科の授業づくりの準備をしっかりしているのかというと,とてもあやしいものです。

 教師たちの「学ぶ力」は,子どもたちに「伝染する」ものです。

 「ゆとり世代」が社会人として,どのような評価を下されるのか。

 「ゆとり世代」というレッテルを,「本来の意味」に「転換」させることが可能なのか。

 よく見守る必要があるのは,教育実践をした教師たちなのです。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より