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教師の「忙しさ」の相対評価

 以下の項目に全部あてはまる人がいたら,「忙しい教師」として認定いたします。
 (あくまでも,1人の教師の話です)
 

1 学年主任として,「学年だより」を毎日出している。

2 学級担任として,「学級だより」を毎日出している。

3 40人分の「生活の記録」に,毎日コメントを5行以上,記入している。

4 400人分の「今日の授業で学んだこと」のプリントに,週2回,コメントを記入して返却している。

5 400人分の授業プリントを,1週間に4種類以上,作成し,印刷している。

6 1日8時間以上,生徒たちの前にいる。

7 1週間で10冊以上,本を読んでいる。

8 1か月に1本以上,論文を書いている。

9 個人的なブログの記事を1週間に10本以上,書いている。

10 1週間に10回以上の会議に参加している。

11 1日に10回以上の電話対応をしている。

12 区市町村教育委員会の依頼で,1年に10回以上の出張がある。

13 都道府県教育委員会の依頼で,1年に10回以上の出張がある。

14 文部科学省の依頼で,1年に10回以上,会議に出席している。

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コメント

まじめにお答えいただいて、恐縮です。

これ、もちろん冗談です。

何が大事かというと、「相対評価」であることと、

「私が認定する」ということです。

これらのうち、10個が今の私にあてはまります。

何年か前は、別の10個があてはまっていました。

ですから、全部を満たすと、私より忙しい人として認定することが可能です、という意味です。

記事でも触れたと思いますが、子どもの相手をしているだけで忙しい教師もいますから、「忙しさ」の程度やそれが示す状態は、人それぞれです。

高校教員ですが,民間企業(大企業除く)の方に比べて,私たち教員は全然忙しくないと思います。実際には,自分自身は月当たり50~100時間程度の時間外の業務があります。半分は土・日の部活指導ですが。(教員の業務量は時期により変動が大きいのはご承知の通り)

ただ,この記事は少々情緒的すぎるような気がします。
そもそも,忙しさをどのような観点・見方からお考えでしょうか?
いろいろな見方はあるでしょうが,業務に従事する時間の多い少ないで見るのが分かりやすいのでしょうね。(勤務時間は割り振られているので変動しようがないですよね)
となると,この記事では年間の業務に従事する時間をどのようにお考えなのかが分かりかねるのです。

教育に関する言説は,ともすれば根拠や検証の少ない,イメージで語られることが多かったと思います。「受験戦争」「詰め込み教育」「ゆとり」・・・・何か人々に受け入れられやすい言葉が踊り,それが日本の教育を引きずりまわしてきたと思うのです。
だから,「忙しい教師」の「認定」といったことも,雰囲気で語らないほうがよいと思います。

たとえば,「学年だより」や「学級だより」の原稿作成・印刷に毎日どれくらいの時間?
「生活の記録」のコメントには何時間?などなど
それでいて,「1日8時間以上,生徒たちの前にいる」。
また,本や論文,ブログは業務時間外のことなので別として,
どれくらいの時間が必要なのでしょう?
外部の会議や出張がそれぞれ年間10回以上という根拠もよく分かりません。

しかも,ここにあげられた業務を全部できる人はいないのではないかと思います。
この記事の背景として「忙しい忙しいと言うな,教師たちよ!」という思いをお持ちなのではないかと思いますが,(大賛成です)これまでの記事に比べて情緒的すぎるのではないかと思い,コメントをお送りします。

駄文長文すみませんでした。(ちなみに本日勤務日ではないのです。(^_^;))

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より