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「補助学習費」利用のコーディネーター登場!?

 コーディネーターっていう仕事はウィキペディアでは23種類も紹介されていましたね。

 将来有望なのは,「補助学習費」利用のコーディネーター?・・・なんてものは存在しませんけれど。

 文科省が,年収400万円未満の家庭でも,公立中に通っている子ども1人当たりに17万7千円(すべての家庭の平均は22万9千円)かけている,なんて結果を発表したら,お金をかけていない保護者のうち,学力に不安をおぼえている方の中には,早速,塾にしようか,通信添削にしようか,などと悩み始めるでしょうね。

 教育産業の側の勧誘行動にも,気合が入ってくるでしょう。

 では,費用対効果が最も高い「補助学習費」の使いみちは,どうやったらわかるのでしょう。

 とりあえず,何かをやらせてみる?

 教員をしていると,・・・・うちの子は,塾に通わせた方がよいでしょうか?・・・・・

 なんていう質問をされることがよくあります。

 私の答えは,「そんな暇が子どもにあるのですか?」でした。

 もし,暇があるのだとしたら,本人が希望すればなんでもいいでしょう。

 でも,部活動の時間,読書の時間,学校での学習の復習の時間,趣味の時間などで,子どもの予定はうまってしまうのではないですか?

 ・・・・なんていう自分は,夜10時から夜中までの家庭教師をやっていたのですが,こっちの体がもたなくなりました。

 結局,自分で机に向かう習慣がつくれない子どもの場合には,「強制」が必要だという認識が親にはありますよね。

 「景品」でつっても,やがて提出しなくなる「通信添削」を知っている親は,やはり塾に通わせるのが一番「安心」なのかもしれません。 

 教育ブログの中には,「宣伝」になってしまっているものがありますので,判断は容易ではないかもしれませんが,「こうして成功した」という親の体験談など,参考になるかもしれません。

 しかし,親として本当に納得して決めるためには,まず「学校ではどんな教育をしているのか」をとことん知ることが大切でしょう。

 地域の塾の中には,特定の教師の「過去問」をしっかりストックしておいて,ちゃっかり売ってもうけてしまう,という著作権法違反の業者があるかもしれませんが,これをねらって通わせるなんて,あまりにも情けない。

 こういう教師のタイプなら,こういう家庭学習,予備の教材が役に立つ,なんていう情報を専門に扱う「コーディネーター」は現れないでしょうか。

 結局,その人が自分の塾の優位性を強調する,ということでもかまわないような気がしています。

 dolceさんは「暗記」と「本当の思考」を完全に二分して学力をとらえてしまっていますが,そんな簡単なものではないでしょう。

 「話し合い」は子どもも楽しいし,時間がたつのはあっという間ですけれど,これは雑談と似たようなもので,結局,後には何も残らない,ということがたくさんある。だから,日本ではきちんとしたカリキュラムが登場したのですね。

 優秀な子どもは,一斉授業の中でも頭を高速回転させて,いろんなシミュレーションをして「対話」しているんですよね。しっかり聞いて,考えているから,質の高い「疑問」が生まれ,「何がわからないか」がわかるようになってくる。

 それを「一人も置き去りにしない」などという発想で教育をすると,大勢の子どもが「置き去りにされる」結果になる。ちょっと想像すれば,わかるようなものです。

 小学校時代に,質の高い教育を受けると,これは一生の財産になりますね。

 お金がいくらでも自由に使えるのなら,スーパーで安い商品を探して苦労することより,高級専門店をゆっくりまわりながらたくさん買い物をする方を選びますよね。

 そういう高級店を案内してくれる人がいたら,夢のような話です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第四巻より
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    「歴史の活力」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
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    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 橘という木があります。この木が淮水の南に生ずれば、すなわち橘となります。ところが淮水の北に生ずれば、すなわち枳となります。葉は似ておりますが、実のあじわいはことなります。なにゆえにそうなるかと申しますと、水と土がちがうからです。そのように、その者は斉で生まれ育ったときは盗みをしなかったのに、楚にはいって盗みをしたのです。楚の水と土は、民に盗みをうまくさせようとするところがありませんか
    「晏子」(第四巻)より
  • 倹より奢に入るは易く、奢より倹に入るは難し
    「中国古典の言行録」より
  • 礼儀という熟語がある。礼とは万物を成り立たせている根元に人がどうかかわるかという哲理のことで、儀とは礼をどう表現するかというレトリックをいう。その二つが組み合わさって礼儀ということばが生まれた。
    「春秋の色」より
  • 都邑が矩形であるのは、この大地が巨大な矩形であると想像するところからきている。したがってかぎりない天地と形容するのは正確さに欠ける。大地にはかぎりがある。ただし大地は四方を高い壁でかこまれているわけではない。とにかく独創とか創見というものは、思考が狭い矩形をもたぬということではないか。人はいつのまにか思考を防衛的にしてきた。他者を拒絶しがちである。思考の四方に感情という壁を立てて、他者と共有してきた天を極端にせばめてしまった。
    「子産(下)」より
  • 人というものは、恩は忘れるが、怨みは忘れぬ。
    「孟嘗君 5」より
  • 人はたれにもあやまちがあります。あやまちを犯しても改めれば、これほど善いことはありません。『詩』に、初めはたれでも善いが、終わりを善くする者は鮮(すくな)い、とあるように、あやまちをおぎなう者はすくないのです。
    「沙中の回廊(下)」より
  • 「わたしは侈っている者を烈しく憎まない。なぜなら侈っている者はおのずと滅ぶ。が、なまけている者はどうか。わたしはなまけている者をもっとも憎む」
    「沙中の回廊(下)」より
  • 人を得ようとしたければ、まずその人のために勤めねばならぬ。すなわち、晋が諸侯を従えたいのであれば、諸侯のために骨折りをしなければならない。
    「子産(上)」より
  • 知るということは、活かすということをして、はじめて知るといえる。
    「青雲はるかに(上)」より
  • 師はつねに偉く、弟子はつねに劣っているものでもない。弟子の美点に敬意をいだける師こそ、真に師とよんでさしつかえない人なのではないか。
    「孟嘗君 2」より
  • 人を家にたとえると、目は窓にあたる。窓は外光や外気を室内にとりいれるが、室内の明暗をもうつす。そのように目は心の清濁や明暗をうつす。
    「孟嘗君 2」より
  • 人にものごとを問うということは、質問そのものに、問うた者の叡知があらわれるものである。
    「孟嘗君 3」より
  • 人から嫌われることを、避けようとする者は、心の修養ができていないことである。
    「中国古典の言行録」より
  • 人を利用すれば、かならず人に利用される。・・・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、すでに失敗しているといってよい。
    「太公望 中」より
  • 与えられてばかりで、与えることをしないことを、むさぼると申します。むさぼった者は、なべて終わりがよくない
    「孟夏の太陽」より
  • ・・・料理をつくりながら、人と組織とをみきわめたのか。素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わされば、うまさを引きだすことができる。煮るとか蒸すとかいうことが、政治なのかもしれない。
    「太公望 中」より
  • 他人を変革するためには、まず自己を改革しなければならね。
    「太公望 中」より
  • 人が何かを得るには、二通りあります。与えられるか、自分で取るかです。(中略)与えられることになれた者は、その物の価値がわからず、真の保有を知りませんから、けっきょく豊さに達しないのです。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • みじかいなわしかついていないつるべでは、深い井戸の水を汲むことはできない。
    「奇貨居くべし 黄河編」より
  • 人は目にみえるものを信じるが、そのことにはかぎりがあり、けっきょく、人が本当に信じるものは、目にみえぬものだ
    「晏子」第二巻より
  • 人にはそれぞれこだわりがあり、そのこだわりを捨てて、変化してゆく現実や環境に順応してゆくことの、何とむずかしいことか。
    「奇貨居くべし 飛翔篇」より
  • 失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。
    「楽毅」第四巻より
  • 人の頭脳のなかの眼力は、木の幹にあたるであろうが、幹をささえるものは知識という葉ではない。根である。根は地上の者ではどうすることもできない伸びかたをする。その根は天から落ちてくる水を吸い、人からあたえられる水も吸って太ってゆく。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • 大木にするためには、幹の生長に目をうばわれがちであるが、地中の根を大きく張らせることを忘れてはならない。花を咲かせることをいそぐと、花のあとの結実をおろそかにしてしまう。要するに、大木でなければ豊かな実をつけないということである。
    「奇貨居くべし 春風篇」より
  • あらゆる事態を想定して準備を怠らず、変化に対応できるようなトップでいなければならない。
    「中国古典の言行録」より