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「退職教師」様へのご質問です!

 コメントをいただきまして,ありがとうございます。

 よろしければ,以下の点について,おうかがいできればと思います。

>あまりにも劣悪な条件整備の中で、毎日毎日それこそ身を削る思いで、子どもたちのために頑張っているのが正しい実状ですよ。

 私は公立学校に勤務していたとき,「あまりにも劣悪な授業」は見たことがありますが,「あまりにも劣悪な条件」というものには出会ったことがありません。

 限られた税金の中での仕事ですから,まだ省ける部分も多いと思っていました。

 「退職教師」様が現役でいらしたころ,どのようなことが「あまりにも劣悪な条件」にあてはまっていたのか,具体的な状況をお聞かせいただけますか。

 ちなみに,毎日毎日身を身を削る思いで子どもたちのために頑張るのは当たり前のことですよ。

 それこそが「公務員であること」の自負になるはずです。

 「身を削る思いで教師が頑張ってくれることだけが,子どもにとっての救い」という面もありますからね。

 年収数百万円のベテランなのに,初任者より授業が下手だ,生徒と会話ができない,という人がいる現実をご存じですね。せめて,「授業を上手にしようと努力はしている」姿を見せてほしいのに,「できないのは子どもが悪い」といって一切の研修を拒否する人がいて,本当に困った・・・すみません,これは愚痴です。

 あと,

>自習にして出張したくなくても、校長の「命令」であるかぎり、逆らえないのですよ。また、授業を自習にして教師を出張させることに、心を痛める管理職など皆無なのですよ。

 これは,どこの自治体の話なのですか?

 すべての校長が,授業が自習になることで心を痛めない地域というのは?

 それは,自習の方が授業をさせるより教育効果が高いという意味ですか?

 授業をしなければならない日で,かつ,代わりの教員がいない状況下での出張の用務は何ですか?

 「退職教師」様は,37年間,そのような不当な「命令」にただ黙って耐え続けていたのですか?

 「退職教師」様も,自習にしてもかまわないとお思いですか?

 そういう校長の扱いについて,教育委員会に問い合わせることは可能ですよ。

 コメントは非公開のままにいたしますから,ぜひ自治体名をお知らせください。

 「自習」が授業時間にカウントされているのかどうかも,確かめる必要がありそうですね。

 保護者はそういう事実を知っていましたか?

 今,外部評価結果も公表する学校が増えていますから,自習を容認する校長,あるいは教育委員会(教育長)は非常に厳しい目で見られることと思いますが?

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コメント

なかなかに面白い議論ができそうなので、再度書かせてもらいます。
「あまりに劣悪な条件整備」はまさに枚挙に暇がありまんよ。というより全てがあまりにもひどいのです。書ききれるものではないので、例を少しだけあげます。空調設備のない教室はまだ普通です。30度を超えた教室で40人超の生徒を相手に汗だくの授業は日常ですよ。(ちなみに私は最大50人を担任したことがあります。)
学校は公共の建物の中では、坪当たりの建築単価がどんな公共物よりも最も安価です。くさい・汚い・ぼろいは公立学校のトイレ共通です。家庭には普及しているのに洋式便器のないトイレも多く、子どもたちが学校ではトイレに行きたがらないのをご存じですか。
予算がないからと、教科書会社発行の指導書も学年に1冊しか購入してもらえず、困っている初任者もいますよ。
きりがないので、次、「出張」の件です。
校務分掌関係の会議は、自習にして出張するのは当たり前のことですよ。どこでもどこの学校でも同じですから、そんなことに心を痛める管理職などいないわけです。いや、そんなことに心を痛めていたら、管理職など務まらないでしょう。
私は生徒指導指導主事をしていたときに、4月5月だけで、10回の出張がありました。記録をみると、教育事務所主催の生徒指導指導主事研修会が2度、市教委主催の生徒指導講座が2度、社会科副読本地域教材作成委員会が3度、学校警察連絡会が1度、生徒指導主事連絡会が1度、学校安全講習会が1度。これらは学校長宛に個人名で派遣要請文書が来て、出張を命じられ、拒否することなどおよそあり得ないのです。丸1日のものも午後の半日のものもありますが、授業を自習にすることにはちがいがありません。自習授業には管理職など代替え教員がはいることもありますが、まともな授業など望むべくもなく、出張のときに提出する自習内容のできのチエックがぜいぜです。いやいや、もっとひどい。学校は慢性的に人手不足で、出張自習を観に行ってくれる教員がいなくて、1時間中子どもたちだけ、問題が起きて大騒ぎということも珍しくないのですよ。
長くなりすぎました。またいつか聞いて欲しいと思います。

私が公立学校に入って第一に感じた疑問は,「なぜ力のない人が教員を続けられてしまうのか」ということでした。

組合には加入しませんでしたが,「組合はこういう人たちを守るためにあるんだな」というのが直観的な印象でした。

自分は時間を守らないのに,子どもには時間を守れ,という。

こんな人は,一歩学校から出てしまえば,社会人として信用されることは決してない。

学校の中はこういう人にとっての「楽園」であって,だからこそ,子どもにとって「地獄」になっているんだな,と思いました。

公立学校が信頼されるかどうかは,施設がどうのこうのではなく,教員の質こそが問われているのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より