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「馴れ合い文化」だけが育つ「学び合い」指導

 教育実習生にグループで一つの指導案を作成させた後,私が必ず聞く質問は,

 「みんなでまとめた考えは分かりました。それで,あなたの考えは?

 「馴れ合い文化」に染まった教育実習生が必ず答えるのは,

 「みんなと同じです

 「では,もともとのあなたの考えは?

 「・・・・

 「学び合い」「話し合い」活動の最大の落とし穴は,「自分自身の考えが消し去られること」「徹底して聞き手に回ることが可能なこと」にあるのです。

 最後には,みんなの意見としてまとめなければいけない(一つの指導案にする,というのが,いじわるな設定なのですが)という「信念」は,「馴れ合い文化」に染まった大学生がより強く刷り込まれているものです。

 「馴れ合い」は,単なる「同調」であって,「協調」ではありません。

 「同調性文化」と呼んでもいいでしょう。

 日本人が「協調性」と呼んでいる人間の資質なり能力の実態は,実は「同調性」である場合が多い。

 「ある団体」による「行動」は,常に「一斉・同一行動」を強要します。

 これは,個人の「協調性」に基づく行動ではないのです。

 こういう文化に育った子どもは,「学び合い」「話し合い」活動の中で,どんどん個人としての能力を奪われていきます。

 そもそも同質の集団での「学び合い」の効果が薄いのは,簡単に想像するだけでわかるでしょう。

 「学び合い」とは,もっと異質な集団間でのやりとりを想定すべきなのです。

 しかし,「あの団体」の教師たちは,同調できる子どもがたくさん育った方が,都合がよいのです。

 日本は,文化的にそもそも均質性が高く,「協調性が大事だ」なんて言わなくても,そもそも「協調性豊かな人々」なのです。それを悪い性質の方へと導いているのが,「馴れ合い文化」です。

 はじめの話に戻ります。

 「みんなで決定した指導案はこれだけど,あなたは本当にこれで納得しているの?これがやりたいの?

 と聞きます。

 そこで初めて,「自分なりの言葉」が出てくる教育実習生は,まだ見込みがあります。

 結局,「だれか」が主張したことに「同調」して,そもそも自分の考えなどなかったレベルだったから,決まってほっとしている・・・・そういうレベルの実習生は,私から集中砲火を浴びます。

 「一つの指導案を作れ」という指示だけで,「単純に従うだけの学生」か,「自分の考えを簡単に捨て去らない学生」かが判断できる。

 実習生の側には,「自分の考えをしっかり出さないといけない(時には指導教官と意見が食い違っても)」という自覚を持たせることができます。

 しかし,「単純に従う」実習生のことを,私は気の毒だとは思います。

 小中学校のときに「同調性」を散々たたきこまれた大学生なら。

 「違いを認める」というレベルではなく,「違っているからこそいいのだ」と言えるレベルへ。

 そういう段階に進まないと,日本はそのうち「玉砕」します。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より