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賞狙いで競わせる感性をもつ音楽教育者

 「感性」の大切さを訴えようとしている人がいるかと思ったら,「コンクールで代表になった」ことで態度が変わった,などというまるで「音楽性」とは無関係の,「指導の成果」を自慢したいだけでした。

 中学校音楽科の改善の具体的事項として,次のようなことが示されています。

 多様な音や音楽を感じ取り,創意工夫して表現したり味わって鑑賞したりする力の育成や,音楽文化についての理解を深め,豊かな情操を養うことを重視し,次のような改善を図る。

 (ア)~(エ)は省略

 (オ) 合唱や合奏など全員で一つの音楽をつくっていく体験を通して,表現したいイメージを伝え合ったり,協同する喜びを感じたりする指導を重視する。学習全体を通じて,音楽文化の多様性を理解する力の育成を図るとともに,音環境への関心を高めたり,音や音楽が生活に果たす役割を考えたりするなど,音楽と生活や社会との
かかわりを実感できるように指導するようにする。

 全員で一つの課題に取り組む体験のねらいは,コンクールで賞をとることではありません。

 ただ,目標としては,この方がわかりやすい。

 「試験でいい点をとる」「受験で勝ち抜く」ための学習と同じ図式です。

 ***どこかの音楽教師が,「コンクールで代表に選ばれて生徒の態度が一変した」ということを自慢げに披露してくれています。ものすごい「感性」の持ち主ですね。***

 しかし,こういうことに加担する教師がほとんどで,「コンクールの実施をやめる」ことが提案できる感性と信念をもった教師はどのくらいいるでしょうか。

 これは,自分のためではなく,子どもが

 「協同する喜びを感じる」

 「音楽文化の多様性を理解する」

 「音環境への関心を高める」

 ことができるようにするためなのです。

 今まで通りのことだから,当たり前のように続けている,という感性の持ち主は,「惰性の実践者」に過ぎず,真の教育者ではありません。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より