賞狙いで競わせる感性をもつ音楽教育者
「感性」の大切さを訴えようとしている人がいるかと思ったら,「コンクールで代表になった」ことで態度が変わった,などというまるで「音楽性」とは無関係の,「指導の成果」を自慢したいだけでした。
中学校音楽科の改善の具体的事項として,次のようなことが示されています。
多様な音や音楽を感じ取り,創意工夫して表現したり味わって鑑賞したりする力の育成や,音楽文化についての理解を深め,豊かな情操を養うことを重視し,次のような改善を図る。
(ア)~(エ)は省略
(オ) 合唱や合奏など全員で一つの音楽をつくっていく体験を通して,表現したいイメージを伝え合ったり,協同する喜びを感じたりする指導を重視する。学習全体を通じて,音楽文化の多様性を理解する力の育成を図るとともに,音環境への関心を高めたり,音や音楽が生活に果たす役割を考えたりするなど,音楽と生活や社会との
かかわりを実感できるように指導するようにする。
全員で一つの課題に取り組む体験のねらいは,コンクールで賞をとることではありません。
ただ,目標としては,この方がわかりやすい。
「試験でいい点をとる」「受験で勝ち抜く」ための学習と同じ図式です。
***どこかの音楽教師が,「コンクールで代表に選ばれて生徒の態度が一変した」ということを自慢げに披露してくれています。ものすごい「感性」の持ち主ですね。***
しかし,こういうことに加担する教師がほとんどで,「コンクールの実施をやめる」ことが提案できる感性と信念をもった教師はどのくらいいるでしょうか。
これは,自分のためではなく,子どもが
「協同する喜びを感じる」
「音楽文化の多様性を理解する」
「音環境への関心を高める」
ことができるようにするためなのです。
今まで通りのことだから,当たり前のように続けている,という感性の持ち主は,「惰性の実践者」に過ぎず,真の教育者ではありません。
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