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5W1Hで「議論からの逃げ方」を考える

 5W1Hとは,Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(なぜ)How(どのように)のことです。

 dolceさんの逃走経路をたどってみましょう。

 まず,

 Who(誰が)…最初は小学生の学力の話でした。なぜか,中学生の部活動の話になってしまっています。
         小学生には,部活動はありませんね。では,小学生の問題解決力はどのように育てられるのでしょう。

 What(何を) …「学力」の話が,問題解決能力へ。しまいには,「生活指導」の話まで流れてしまいました。

 When(いつ) ・Where(どこで)…教師がすべての子どもの「学力」「問題解決力」を責任持って育てられるのは,授業時間の話です。いつの間にか,放課後の自主的な活動の場の話になってしまいました。

  Why(なぜ)…「学力低下」がなぜ問題なのか,dolceさんの認識が甘すぎます。
          中学校の立場から言えば,九九が分からない,分数が分からない子どもに数学を理解させるのは困難です。楽譜が読めない生徒に,ピアノを弾かせることができますか?という話だったのに・・・。

 How(どのように)…私のコメントへの批判だけ書いておいて,大事な質問には全く答えていません。

 こういう「逃走本能」が,生活指導だけでなく,学習指導の面でも課題を抱えている無責任な教師たちの最大の武器なのです。

 ところで,「問題解決能力の検証」という記事のタイトルから内容を楽しみに読ませていただいたのですが,いつまでたっても「内容」がないですね・・・・。

 どのような「問題」があり,どのように「解決」されたかが書かれていないのに,なにがどのような「検証」されたのかすらわかりません・・・。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より