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現場感覚ゼロの学校モンスターをどうする?

 あまり早くお返事してしまうと,dolceさんの場合は大事な話を「なかったこと」にしてしまうので,公開するのはもう少しあとにします。

 以下のような話には,あまりおつきあいできない気もするのですが・・・。

>「基礎的・基本的な知識・技能」は学力のすべてではないと言っておいて、しかし,学力の一部であることは確かです。と言っているということは、あなたは学力の全体像を知っているということになります。

 たぶん,dolceさんは教師の指導力の全体像は見えていないでしょう。私も同じです。

 でも,周囲から評価される分,これは「指導力がある」と呼んでいいな,これは「指導力が乏しい実例だな」と気づく例が出てきます。ということは,部分的にも,指導力とは何かがわかっているということになります。

 一部であることを知っているなら,全体像を知っていることになる,というのは,どのような論理なのでしょうか?

 dolceさんお得意の「図解」で示していただけると助かります。
 
 なぜ,日本語の語彙や用法をはじめとした「基礎的・基本的な知識・技能」が,学力の一部である,と言ってはいけないのか?

 dolceさんの思考回路がわかる方はいらっしゃいますか???

 現場感覚の乏しさを疑わせる数々の見解をお知りになりたい方は,どうぞdolceさんのブログをおたずねください。

 無知ぶりを披露してしまった決定的な箇所は,

>指導要録の記入については、決められた様式に従って記入しただけで、学力を意識して記入した覚えはありません。指導要録が、その人間を表す完全なものとも思っていません。

 というところです。だれも,生徒を表す完全なものをつくれ,とは言っていません。

 指導要録というのは,決められた様式によって,「学力を意識して記入」しなければいけないことになっているものです。

 興味のある方は,平成22年5月11日付けの文科省の通知をお読み下さい。

 「小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等について(通知)」です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より