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コンピュータ・オタクの「人間らしさ」

 永世棋聖の称号をもつ米長元名人が,コンピュータの将棋ソフト「ボンクラーズ」に敗れました。

 この出来事を引き合いに出し,以下のような「コンピュータ・オタク」らしいコメントしている人がいます。

*************

人間の思考力が単純化し、コンピュータはより利口になってきた。
やがて、人間とコンピュータの能力がクロスする時代がやってくるのではないかと思ったりする。
より「人間らしさ」が問われる時代になってきたと言えよう。

*************

 新聞記事によると,「ボンクラーズ」は昨年の世界コンピュータ将棋選手権で優勝したソフトで,毎秒最大1800万手を読むそうです。

 結果はわずかな「見落とし」の隙をついて攻められて,元名人が敗れましたが,そういうソフトと途中まで互角に戦い, 「前例のほとんどない手で力戦に誘導した」ことはすごいことだと感じました。

 この人間対コンピュータの対局から,「人間の思考力が単純化」している,という結論を引き出すような人間の思考力とは,どの程度のものでしょうか。

 コンピュータの解析力を引き出しているのは,人間の思考力ではないのでしょうか。

 この人の言う,「人間らしさ」とは何でしょうか。

 私は,この対局の実現こそが,「人間の強さ」の証明であると考えています。

 米長元名人には,都庁のエレベーターでたまたま一緒になったことがありました。

 見知らぬ職員からの軽い会釈に笑顔で応えてくれた元名人の「強さ」には頭が下がります。

 間抜けなコメントの主はコンピュータが勝って,さぞうれしかったことでしょう。

 これも,とても人間らしい反応です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より