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音楽のことは伊東玲氏に学べ

 私の周囲には慎ましやかな音楽教員しかいなかったので,最も苦手な音楽教育のことを学ぶ相手はいませんでした。

 そういう意味で,教育ブログの世界で伊東氏の存在はたいへん貴重です。慎ましやかではないからです。

 部活人間と同じで,勘違い系教員が多い音楽教師の中で,次のようなコメントをこのブログに送って下さる方は他にいません。

 コンクールで競い合うことの有効性は、合唱でも吹奏楽でもその他でも音楽に関して、特に学校教育ではほとんどありません。それを何とか説明しようとすれば、必ず詭弁になるだけです。ゲームだと割り切って、それなりに楽しむ以外に価値はありません。
 合唱コンクールも同じで、それで学級作りの本が出されてそこそこ売れているらしいことに、憤慨したりしていました。まして合唱コンクールは素人が意味不明の審査をする。
 価値の単一化は怖いです。それを集団で行うのは暴力行為です。そんなものに音楽が利用されるのはたまらない。

 私にとっては,今の職場の音楽教師が指導者として,最高だと思っています。

 コンクールなどは行っていませんし,何よりも子ども一人一人の声を,表現を,大切にしています。

 人間を育てています。

 合唱コンクールで集団づくりというのは,熱心な方には気の毒ですが,最低の教育です。おそらく,どこも狭い意味の生活指導,つまり,管理のための指導の道具に音楽を使っているのです。

 そうやって育った子どもが,音楽を大事にしていますか。

 人を大事にしていますか。親を大事にしていますか。

 カラオケは大繁盛?

 問題に気づけるかどうかが,問題解決学習の入口の大事な問題です。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より