音楽のことは伊東玲氏に学べ
私の周囲には慎ましやかな音楽教員しかいなかったので,最も苦手な音楽教育のことを学ぶ相手はいませんでした。
そういう意味で,教育ブログの世界で伊東氏の存在はたいへん貴重です。慎ましやかではないからです。
部活人間と同じで,勘違い系教員が多い音楽教師の中で,次のようなコメントをこのブログに送って下さる方は他にいません。
コンクールで競い合うことの有効性は、合唱でも吹奏楽でもその他でも音楽に関して、特に学校教育ではほとんどありません。それを何とか説明しようとすれば、必ず詭弁になるだけです。ゲームだと割り切って、それなりに楽しむ以外に価値はありません。
合唱コンクールも同じで、それで学級作りの本が出されてそこそこ売れているらしいことに、憤慨したりしていました。まして合唱コンクールは素人が意味不明の審査をする。
価値の単一化は怖いです。それを集団で行うのは暴力行為です。そんなものに音楽が利用されるのはたまらない。
私にとっては,今の職場の音楽教師が指導者として,最高だと思っています。
コンクールなどは行っていませんし,何よりも子ども一人一人の声を,表現を,大切にしています。
人間を育てています。
合唱コンクールで集団づくりというのは,熱心な方には気の毒ですが,最低の教育です。おそらく,どこも狭い意味の生活指導,つまり,管理のための指導の道具に音楽を使っているのです。
そうやって育った子どもが,音楽を大事にしていますか。
人を大事にしていますか。親を大事にしていますか。
カラオケは大繁盛?
問題に気づけるかどうかが,問題解決学習の入口の大事な問題です。
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