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小学校教師?のピントのズレ

 小学校の先生とお話しできるのは,異文化理解という観点で貴重な機会です。

*すみません。コメントをいただいたのは,公立高校の英語の先生でした。以下の記事は,もし小学校の先生がそのようにお話しされたら・・・という前提でお読み下さい・・・。

 本当に感謝いたします。

 こちらの観点からすると,小学校の先生のあり方を批判しているように聞こえるかもしれませんが,それが常態であるなら,それまで,という話です。

 夜の8時過ぎであるというのに職員室には何人もの先生方がいて当たり前のように仕事をしていました。

 「夜の8時過ぎであるというのに」という表現から,明らかに「夜の8時過ぎまで仕事をするとは,何と熱心なことか」という尊敬の念が感じられて,すばらしいです。あとで話すような,貴重な仕事をされているはずですね。

 それと、小学校は朝が早いです。私の地区だと7時前にはすでに生徒は登校を始めています。

 そんなに早く校門を開けるのもいかがなものか,と思わないでもないですが,子どもにとっては,始業前に1時間も遊ぶことができるとは,何と恵まれた地区でしょう。うらやましいです。

 仕事の効率化の本には,「頭を使う仕事は午前中に」という鉄則が書かれています。朝6時に出勤して教材研究ができれば,1日の授業も本当に充実したものになりそうですね。

 また,朝の30分くらい,体を動かす,というのは健康のためにもベストですね。子どもと一緒に汗を流すのもいいでしょう。

 私も朝の7時から8時まで朝練をしていたころがありましたが,そのころの体重はベストの状態を保っていました。

 加えて小学校では「空き時間」も「昼休み」もありません。

 私が参観した小学校では,授業中にも「空き時間」をつくっていたスゴ腕の教師がいましたね。子どもは思い思いに自習をしてくれているから,それにその課題もやさしくてだれも何も質問しないから,教師は自分の仕事を思う存分していました。

 「昼休み」で,給食の片付けが終わった後は,ただひたすら子どもと遊ぶ。

 よく学び,よく遊べ。自主的に動くときに,子どもは子どもらしさを存分に発揮します。こういう姿を見逃す手はない!

 昼は給食指導の時間です。

 給食指導は,清掃指導とともに基本中の基本ですね。そのとき,どのような動きをしているかによって,教師の力量はだいたい分かります。

 準備と食事と後片付け,さまざまな場面で子どものよさを存分に味わえる,貴重な時間があるというのはうらやましい限りです。

 確かに教材研究は難しくないかもしれませんが、授業で使う教材の用意には労力が必要です。

 教材研究が難しくない,というレベルに達しているとはすばらしい。

 個に応じた指導が小学校ではやりやすいから,児童ひとりひとりに別々の課題をつくることができますね。

 こういう教材準備は,人数×(別々の作業時間の平均)という時間がかかるから,バカにならないですね。これをしているとだいたい夜の8時くらいになってしまうでしょうか。

 小学校が中学高校よりも恵まれている点があるとすれば、土日のクラブ活動が少ないことでしょうか。

 そうですね。小学校の教師は,土日も教材研究や教材の準備がたくさんできるのですね。また,地域のボランティア活動にも参加できるし,PTAのバレーボールとかソフトボールの練習にも参加できる。

 地域のために貢献してくれる教師は,公務員の鏡として,本当に大切にしてもらえそうですね。

 さて,今までの話に,登場しなかった「教育」の仕事があります。

 これをいつ,どのようにやりましょうか。

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コメント

中学校が抱えている問題は,子どもではなく,教員なんですよ。
小学校や高校は「自滅」ですみますが,中学校ではそうはいきません。
「カバー」するのが,絶対条件です。
「カバー」される人が,まわりの人の苦労を知ってしまうと,心を病んでしまいます。
「カバー」されているのに気づかないような人が一番たいへんなのですが,こういう人は絶対に心を病むことはないでしょう。
病んでくれとはいいませんが,せめて「気づいて」ほしいものです。

 ああ、もしやと思っていたんですが、やっぱり勘違いなさっていたんですね。これで疑問は全部片付きました。
 で、各学校現場の多忙さに対する私の認識は、
 小学校は、大変に忙しい。よくやってるなと思います。
 中学校は、殺人的に忙しい。よく生きてるなと思います(実際、よく倒れます)。
 高校は、たぶん恵まれている。だから私程度でも何とかなっている。

 小学校現場をどう捉えるかということについてはもう結構ですけど、中学現場が苛烈だというのは同感です。あれは現場の努力だけで何とかなるレベルじゃないと思います。

 ともあれ、丁寧なご返答ありがとうございました。くれぐれも「決めつけ」にはご注意を。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より