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歌しかなかった時代の元・女学生たち

 敗戦間近のとき,日本は極秘の作戦である「風船爆弾」製造に乗り出し,各地の女学校の生徒たちがその作り手となりました。

 当時,満州から留学していた女性は,外国人であるという理由でその現場からはずされ,授業がなくなった学校には入れず,川のほとりを歩いては歌を歌ってすごしていたそうです。

 歌は集団のまとまりのよさを実感させてくれるもので,日本の女学生たちは,強制されなくても,それしか楽しみがない時代でしたから,集まって時間があればみんなで歌っていたということです。

 その女性たちの中には,70歳代でもまだ若々しく,集まって当時の歌を歌うグループをつくって活動している方々がいらっしゃいます。

 今,多くの中学校では,「歌」を「合唱コンクール」という形で「競わせる手段」にしています。

 私はそもそも音楽に関心はないのですが,・・・明治政府が日本人を「国民化」するための道具として「唱歌」を歌わせ,歌を通して知識を得る,なんてことをしていた,という歴史には関心があります・・・コンクール形式で合唱をさせると,必ず「悲劇」は生まれます。

 子どもひとりひとりのことを考えてあげればわかることです。

 音楽に造詣が深い方で,「コンクールで競い合う」ことの有効性を説明して納得させてくれる人はどのくらいいるでしょうか。

 新採の教師が,そのことに疑問を抱いて訴えても,「今までやってきているんだからガタガタ言うな」と叱られて終わりになってしまうのでしょうか。

 戦前から,学校ではよく子どもに「歌わせて」いましたね。

 感動させていましたね。

 どんな歌詞で感動していたか,今思えば本当にぞっとする思いです。

 音楽は「人間性を豊かにするという幻想を抱かせる道具」とか,「人間の思考力を奪ってきた」なんておそろしいことを考えるのは私だけでしょうか。

 確かなことは,指導者によって,合唱ほど「仕上がりのうまさ」に違いがでてくるものはない,ということです。

 そういう点から見れば,小学校の音楽ではやはり「専科」でやってもらうのが妥当でしょうね。

 残念ながら,私の学校時代は,音楽の時間は先生が歌っているか,レコードをたれ流しているか,どちらかしかありませんでした。

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コメント

こちらこそ,・・・です。
音楽のことは伊東玲氏に学べ,です。
当方は,ぼちぼちやっております。
1年のうちで,今が最も忙しいとも言えるし,
暇だとも言える時期です。
「捏造」とかまた始まったので,少しは
役に立ちそうなことを,ぶれることなく
書いていこうと思います。
あの方の成長を願って。

あまりにも懐かしくてついつい書いてしまいます。本当に勉強熱心ですごい人ですね。いろんな失礼をして本当に申し訳なく思っております。他に共感する記事もありましたが、これからゆっくりと読ませていただくことにします。この記事に関しては、さすがだなあとあらためて感心させられました。私の方は悪循環のまま今日まで至っています。
コンクールで競い合うことの有効性は、合唱でも吹奏楽でもその他でも音楽に関して、特に学校教育ではほとんどありません。それを何とか説明しようとすれば、必ず詭弁になるだけです。ゲームだと割り切って、それなりに楽しむ以外に価値はありません。
合唱コンクールも同じで、それで学級作りの本が出されてそこそこ売れているらしいことに、憤慨したりしていました。まして合唱コンクールは素人が意味不明の審査をする。
価値の単一化は怖いです。それを集団で行うのは暴力行為です。そんなものに音楽が利用されるのはたまらない。またときどき訪れます。
ところでどこかでお会いしたような気がするのは錯覚でしょうか。またいずれ。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より