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部活動への空想と妄想

 部活動の実態について,次のような表現に該当する記事をブログで見つけました。

 必ずしも特定される必要はないが「とてもそうは思えない」ような話は、ただの空想か妄想だろう。

 ネットでは匿名で発信できることから、言いたいことを作ってしまうこともできる。

 そうでなくても、本当かどうかわからないのに、あることを言いたいために、想像から始まった話を断定してしまう言い方だ。
 
 どんな内容かというと,

 授業後の部活動は、各自が好きな活動に参加できること、教師の方も特技が生かせるということもあり、自由な空気がみなぎって、子どもたちにとってやる気のある活動と言える。

 というものです。

 さて,学校現場の実態をお話しします。

 1 部活動は,各自が好きな活動に参加できるか?
   子どもたちにとってやる気のある活動と言えるか?

  原則は,その通りでしょう。
  ただ,学校によっては,「部活動に全員入る」ことが前提のところがあります。
 ということは,生徒が好きだとは限らない活動を「やらされる」場合があります。
  好きなスポーツの部活動に入っても,特に1年生などは,走ってばっかりとか,球拾いばかりとか,「楽しくない活動」をしなければならないこともあります。上級生になっても,トレーニングとか体力づくりは好きではない,という子どももいます。
 学校が小規模化してきているために,「好きな活動」ができる部活動がない学校もあります。
 もし,各自が好きな活動に参加できるのがよい,という考え方に従っていくと,学校選択自由化を認めることになりますね。
 規模が大きい学校に行くほど,部活動の選択肢が増えていきます。

 2 部活動は,教師の特技を生かした指導が行われているのか?

  そういう学校もあれば,「しかたなく顧問をしている」教師が多い学校もあります。
  運動部にしろ文化部にしろ,そんなにうまく専門家が集まるとは限りませんね。

  教員採用試験で,特技がない人は,受かるために嘘をつかなければならないのでしょうか・・・。

 3 部活動は,自由な空気がみなぎっているか?
 
  本当にそうかどうかは,お読みの方が,ご自分の体験をふり返れば分かることです。
  1年生が自由な空気を満喫している部活動はすばらしいですね・・・。

 (吹奏楽部は)お互いに勝ちたいわけだから、必然的にどうやったら、自分の団体を上手にできるかについていつも勉強している

 なんていう言葉も見つかりました。

 音楽を競技にして,戦っているわけですね。

 負けて,悔しがるのが音楽なんだ・・・・。

 悔しがるだけでなく,「審査員が悪い」とやっぱり「人のせい」にするのが音楽の指導者の姿なのですね。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より