ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 音楽のことは伊東玲氏に学べ | トップページ | 5W1Hで「議論からの逃げ方」を考える »

マニュアルを読ませるマニュアルが必要

 センター試験が適切に運営できない責任は,大学にあります。

 この教師教育のカテゴリーには大学の先生もいらっしゃいますから,試験官がどうしてこんなにいい加減なのか,訳を説明していただきたいですね。

 一部の大学だけかと思ったら,あちこちで配布ミス」が起こっていたようです。

 原因の中に,「試験官がマニュアルを読んで理解していなかった」ことが挙げられています。

 受験生の立場ではなく,義務教育の教員をしている立場から言うと,「正しい行動を導けるマニュアルとは何か」ということに関心がいきます。

 残念なことに,「マニュアルを読むためのマニュアル」が必要になってきそうなのです。

 ちょっと趣旨は違うのですが,学習指導要領には解説というものがあり,内容が少し詳しく説明されているのですが,大学生レベルだと,この解説の解説が必要になってくる。

 昔は,教科調査官が原稿を書く市販本の「解説の解説」があったのです。

 しかし,今は公務員である教科調査官がそうやって原稿を書き,報酬をもらうことができなくなっていますから,学習指導要領の作成にたずさわった協力者が代わりにつくったりしています。

 そして,その「解説の解説」ではまだ実践的な授業ができないので,さらに詳しい解説が・・・ときりがありません。

 まずは,解説を読むこと。すみからすみまで。そして自分の頭でしっかり理解すること。これを,大学の段階,あるいは教育実習中の期間で徹底的にやり,試験も設けるなど,「基礎的・基本的な知識」を習得することが大事です。

 基礎・基本をおろそかにする人間が,何となく例年のようにやって,そしてミスを犯すのです。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« 音楽のことは伊東玲氏に学べ | トップページ | 5W1Hで「議論からの逃げ方」を考える »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マニュアルを読ませるマニュアルが必要:

« 音楽のことは伊東玲氏に学べ | トップページ | 5W1Hで「議論からの逃げ方」を考える »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より