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地域モンスター対学校モンスターの戦いの結末は?

 片方が反論されているところを見たことがないので,両者ともにただ人に迷惑のかからないモンスターなのかもしれませんが,地域モンスター対学校モンスターの対抗は「おもしろ哀し」の演劇です。

 dolceさんは,
 
>私は何度も言っていますが「学力とは何か」について、我が国の教育制度では明らかにしていません。
>だから、あちこちで学力云々と語っているのは、個人が勝手にイメージしている学力に過ぎません。
>そういうてんでバラバラな解釈の学力を公教育が聞き入れて、教育に取り入れることなどできないのです。

という主張を,次のように補足訂正されています。

 理由は,途中で「学力」は法律や中教審の答申,文部科学省の行政文書,学習指導要領等できちんと示されていることを知ったからでしょう。それをブログでも引用しています。

 また「学力への勝手な意味づけ」という決めつけはゆずりませんが,「勝手な意味づけ」ではないことは,当事者でなくても,たとえば小学校4年生でもわかることです。

>私が言いたいことは、学力というものの意味がいくつかあるということで、それぞれが学力に対して勝手に意味づけしたものを、あたかも共通のものとして論じても意味がないと言っているのです。

 意味がないことをしているのはご本人ですね。

 とにかく共通のものがないという前提で話を進めているのはdolceさんですから。

 それなのに,人の「思考回路がおかしい」と非難して,論じている。

 2012年には,早くご自身の「おかしい思考回路」に気づいていただきたいのですが。

>誰でも小学校4年生以上の学力を保証せよとわめいている、この者は、自分から発信する意見に対しては異論や反論は認めないと言っています。
>これは「買ってくれなきゃヤダ」とわめいているダダッ子と同じです。
>あちこちの機関にねじ込んで、他人の意見は聞かない、オレの言うことだけ聞けなどと言うことは、そもそも民主社会にはなじまない態度です。
「オレのいうことだけ聞け」という態度だから、少しも正しい思考回路に修正されないのでしょう。
>まさに、地域に凄む迷惑なモンスターと言えます。

 もしdolceさんが学校現場にいたとしたら,これは地域モンスターと学校モンスターの戦いになります。

 地域モンスターは学校モンスターが勝手にそう呼んでいるだけなので,「勝手な戦い」なのですが。

 モンスターとよぶのはモンスターなのです。

 そういう意味では,本当に「共通のもの」。


 「共通のもの」を探ろうという気になれば,できるのです。

 「小4以上の学力を保証せよ」の「学力」は,「基礎的・基本的な知識・技能」のことを指している。

 学力はA,B,C,D,E,・・・・ 

 たくさんの要素が考えられる。

 その中で,地域の人は,Aを重視して,その力の習得を保証してほしい,と望んでいる。

 なぜなら,地域の人にとっては,「基礎的・基本的な知識・技能」がなければ,「その次の学力」を身に付けることができない,そう考えているからです。

 それを,学力のFとかGとかがわかっていないくせに!などといって,

 相手を批判するのは,「共通のもの」を探る気がない,という姿勢の表明にすぎません。


 すべての学校は評価規準資料をつくっていますから,その資料に基づいて批判することが可能なのです。

 塾の先生は,「どれだけ評価規準に示された『おおむね満足』の状況が実現されていないか」が手に取るようにわかるからこそ,学校への批判を展開しているのです。

 だから,「共通のもの」を探る気がない,というのは,「批判をかわす」ことしか考えていない,ととられても,仕方がないわけです。

 こういう態度をもし現場の教師がとったらどうなりますか。

 相手の意図を全く汲み取ろうとしない。

 自分から発信する意見に対しては異論や反論は認めないような教師がいたら。

 このようなやりとり(?)は,ネット上の中だけであれば,dolceさんも言うように,問題はないのです。

 しかし,このdolceさんのような意識の公務員が現場にいたら,いかがですか。

 いかがですか,ではない,たくさんいるのです。それで,公立学校が信頼されないのです。

 こういう人たちを何とかしなければ,という「あせり」は,「強い改革」にどうしても結びついてしまいます。

 観点別学習状況の評価を評定に総括する,という方針は,学校現場から見れば,非常に強く厳しい「しばり」です。

 「そうまでしないと評価(がきちんとできる指導)をしない」

 という意識が,学者や行政の側にあったのです。

 「少しずつ,確実にやるよう努力します」としか,本来は学校は言うことができない。

 でも,「学力を保証します」くらいのことは言わないといけないところに追い込まれている。

 これは,学校現場に厳しく言えば,自業自得なのです。

 「気づき」の2012年に,していただきたいものです。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より